意識高い系

日々

意識

あなたは人生を生きているつもりでいる。けれどもそれがわかるのは見たり聞いたり触ったり食べたり嗅いだりができるからだね。五感を働かせて様々なことを体験し感じることができる。そう思っているのは意識であって、その意識の有無を確認できるのが知覚だ。それがあるから意識的に選択することもできる。大本に意識があって、それは知覚で支えられている。あなたの世界はその大枠の中にポコっと生まれている。良いことや悪いことがそこで知覚され、それが意識に映し出されてどうするか悩んでいる。その当事者があなたということになるわけだ。意識の中にあなたの人生が投影されているとはそういうことなんだよ。

意識を失う

夢を思い出せないぐらいに熟睡することがある。そのときは意識はどこにあっただろう。もちろん目覚めたあとで意識が意識を見失っていたという文脈で見つけることができる。けれども知覚も機能した形跡がないとすれば意識を認識することもなく、すなわち何もなかった体験がそこにあるだけだね。なにもなかったというのが耐えきれず、なにかそこを穴埋めをするかのようにあてはめようとするのが意識だから、すぐさま意識を失っていたということがそこで補填されるわけだ。それも意識がなせる技で意識がなければあなたすら溶けてなくなっていることに気がつくかな。

自意識過剰

だから、あなたが自意識過剰なのは自然なことだね。自分探しなどと言って何者であるかを確認したり、価値がない人生を送りたくないというエゴで価値ある人生を探し求める旅にでたり、でっち上げたりするのはそういうことだ。ましてやその人生が苦しいからといって自らの生命を断つような真似をするのは、動物多くといえども人間だけだね。すなわち意識が生命をも司る。危険を察知したり多少の喜びを感じるための知覚器官からの情報を単純処理するシンプルなシステムから、どんどん人間だけはかけ離れて進化した。意識の中に人生がポコっと生まれているのはそういうことだね。そして意識がなくなればすべてがなくなる。あなたの悩み苦しんだ人生も無に帰す。というかもともとの無に戻ったとも言えるね。