すべては思い出
あのときはよかった
生きているといい思い出も嫌な思い出もあるんだけれど、思い出を基準にしてあれこれと考えてしまうととたんに苦悩が始まってしまう。あの時の自分と今の自分を比較して苦しくなる。思い出を手放すことが今を受け入れるということ。ありのまま、あるがままに今を楽しんで生きることが基本姿勢となれば、それこそ何があっても無敵状態になる。理屈は簡単でそもそもの敵はそこにはいなく、すべて思い出(過去)にあるだけだから。
苦労は買ってでもしろ
苦労は精神の鍛錬だとよく言われるんだけれど、苦労して強くなった部分を自分の良さにしてはならない。だって、強さや秀でた特技や能力が自分の売りだとしたら、それを発揮できない今の状況を認められなくなるから。そのときの状況に単に適応していただけであって、本来の自分の強みではなくそれはそうだったという昔話である。本当はそういうのから逃げ出したくてたまらない自分が本当の自分であり、決して強い自分ではなく弱々の自分が一番の売りである。情けない自分が本当の自分だというのは、他人に言われるまでもなく自分自身が一番よく知っているはずだしね。
思い出の住人
あのときはよかった。昔はよかったなんていうことを言いだすと、今では老害として忌み嫌われてしまう。今の若いもんはうんぬんなんてのは、人類の歴史が始まって以来世界中で語られているらしいけれど、人はなぜだかこの瞬間の今を生きることが苦手みたいだね。積み上げてきた経験とか、苦労話に花を咲かせて、思い出話で涙ぐむ。人生のエッセンスとして楽しめるのであればそれもまた一興だろうけれど、行きすぎるととたんに思い出に囚われて今を忘れてしまう。散々愚痴をこぼして、一夜明けてひとりになったとき、一体誰がその話をして、誰に語っていたのだろうかとふと気づく。誰もここにはいない。すべては思い出の住人でしかない。
今はどうなの?
ずっと今ここにいるのは誰なのか。思い出を語るには今じゃないことを思い出すしかない。今じゃないことを今思い出している瞬間に、片っ端からすべて過去のことになってしまう。できれば思い出を手放して今を生きる。どんどん過去の思い出になっていく流れの中の今を生きる。実はその姿勢が一番の魅力となるよね。そんな人に人は惹かれる。人生の流れに髪をなびかせて颯爽と生きることが、本来の自分の魅力だよ。どんどん過去を捨て去って忘れて、今に夢中になろうよ。
-
苦労で鍛え上げられた思い出で武装した強さよりも、ふにゃふにゃで力が抜けているその弱さで今を生きるのが極意なのかもね。