無我夢中
孤高
雑多な人混みに紛れて孤独を生きている。色んな人がいることを感じながらあなたはここにいてもいいという安心感を得る。仲間に恵まれて幸いそれほど寂しい思いをしたことがなかったけれども、かといって喧騒がそれほど好きなわけではなく、どちらかというと一人のほうが好きだった。時折寂しいと思った瞬間もあったけれども、仕事のことを考えてそんなこともすぐに通り過ぎていった。人はなにかに夢中になれば、案外それ以外のことは気になりつつも後回しになって、気にならなくなったときにはすっかり忘れている。あなたの頭は苦い記憶として時折思い起こすことがあっても、また何かに夢中になればしばらくは忘却の彼方となる。
大げさ
身近なことをクローズアップしてさらに拡大解釈する癖がある。心配事なんかはまさにそうで、ほとんどが「余計な心配」であって「杞憂」に過ぎない。不確定の未来に対して備えることは大切だけれども、やりすぎはかえって良くないね。究極的には死ぬかもしれないのなら生まれてこなければいい。ところが生まれた日のことも生まれるとか生まれないかもあなたの記憶には一切残っていないし、その時点での自覚もないからコントロールできない。どうにもこうにもできないことをただひたすらに心配し続けるなんて普通は不可能だ。もっと言えば心配事というのは、自らの力で防ぐことができるという確証がある、もしくは誰かに助けてもらえるという信頼がないと生まれないことだ。
不安
そういう不安が生まれるときは心に隙間ができたときに限るね。我を忘れてなにかに夢中になっているときはその隙間がない。余計な不安、しなくてもいい心配事を消し去りたいのなら、心配事そのものを解決しようとしてはならないことがわかるだろう。心配事そのものをなんとかしようとしたら、必要以上に大事だと錯覚してますます泥沼に陥ってしまうね。だから、そういうときはそれとは全く無関係ななにかに夢中になるのが一番の解決となる。ついついあなたは心配事が気になって、そこに注目してしまう癖があるけれども、実はそんなことなんか忘れて好きなウクレレを夢中になって練習した方が解決すること間違いなしだよ。そう、なんか心によどみができて急に不安になったなら、夢中になってできることを始めよう。それこそ筋トレでも散歩でもゲームでもなんでもいい。そんなことしてどうするのっていうことのほうが更に効果てきめんだね。