名プレイヤー
苦労
できれば苦労が少なく、楽な人生がいいと思っているね。でも、それが本当に実現したらとてもつまらない人生になることは忘れてしまっている。何もせずにゴールにたどり着けるゲームが発売されたら、あなたはそれを喜んでプレイするだろうか。おそらくはこの世で一番のクソゲーとして認定されることになるのは目に見えている。その時あなたはこう思うだろう。「そんなゲームはゲームじゃない」と。ゲームが人生だとしたら、もう一度あなたに聞いてみたい。人生は苦労が少なく楽な方が望ましいのなら、なんの苦労もなくゴールにたどり着けるゲームを忌み嫌うのはなぜだろう。もはやゲーム機に電源入れることすらもったいないと思っているというのにね。
暇つぶし
よく人生は死ぬときまでの暇つぶしと言われることがある。まさにそのとおりで言い得て妙だね。今この瞬間があったということはもう二度とないという意味では唯一無二であることは永遠なんだけれども、それがずっと続くかどうかはわからない。他人の死に触れていつかはあなたもそうなると思ってはいるけれども、おそらくその時がきたらあなたはいないわけで、あなたはそれを知覚することはできないだろう。知覚できないとなると、意識も自我も消えてしまうのでもはやどうしようもない。それなのにあなたは過去と未来を行ったり来たりしているだけで、今にいることはほとんどないね。もったいないので今という椅子にできるだけ座っていればいいのに。
災難と不幸
あなたが災難とか不幸とかに分類しているものは、ゲームでいえばミッションだね。なるほどそう来るのか、というワクワク感にかられてゲームは攻略するために楽しんでいるというのに、人生ではミッションがないゲームを望んでいる。それが本当に叶ってしまうと生まれてなにもせず死を待つのみ、という人生だね。不思議なことにそれを神様に一所懸命に祈っているみたい。人間とはかくのごとく滑稽な生物だろう。それがわかると、今あなたの困難な状況は、人生ゲームのミッションであり必ずクリアできるようになっている。もちろんクリアというのは再起動も含めてだろうけれども、それは心配しなくてもあなたには関係のないことだ。なぜならそれはあなたの及ぶ範疇ではないからね。災難も不幸も楽しめといえば不謹慎だろう。でも制限時間はないテストみたいなもので、できるだけのことをやる機会がそこにあるということ。そしてそれに取り組みためにあなたは今そこにいるわけだ。だからもうわかったはずだ。