笑いなさい
笑顔
愛想笑いは好きではない方だ。どちらかというと感情は素直に表現できればいいなと思っている。もちろん社会で生きていくのに感情むき出しにはできないことは重々承知だ。けれども、そのしがらみがない場所ではできれば嘘は少ないほうがいいと思っている。それも喜怒哀楽の怒りは例外にして、喜んだり楽しんだりするのは心から溢れ出したいと思っている。なんら制御も制限も忖度もなくね。その場所を探し求めて生きているのは事実だね。でも今は難しい時代で、むき出しになった満面の笑みも捉え方によっては悪魔の表情にすり替わってしまう。どこで誰に記録されてどう世の中に出回るかなんて誰もにもコントロールできないぐらい、世間は病んでいるみたい。
悪モノ
考えてみれば笑みは良い面よりも悪い面の意味合いが大きい表現かもしれない。例えばどんな映画でも物語でもドラマでもアニメでさえ、悪者は不敵な笑いがそこにある。正義の味方は社会の悪を成敗するために、どちらかというと悲しみとか哀愁とかが漂っている。さらに悪の存在に対していつもしかめっ面しているシーンが多いね。あなたがいつも切に願っている笑って過ごしたいという願いを叶えるとすれば、正義のヒーローよりも悪の使者のほうがいいかもしれない。正しく生きたって誰も褒めてくれないなら、せめて爪痕を残せる悪になろうとする人がいても何ら不思議はないね。ま、爪痕を残せると思いこんでいるだけでそんなものはすでに幻想だから、結局は何も残せない人生となってしまうことは知っている。
一体
それでも笑顔を絶やさないように生きていたい。そう強く願うのは、悲しみや苦しみを乗り越えた先の笑顔だからだね。そう、笑顔は悪と同居しているわけだ。悪も正義も実は一つだと知れば合点がいくかもしれない。相反する相容れない分離した別々のものとして正義や悪、笑顔や涙を捉えていたかもしれないけれども、喜怒哀楽のすべては一つでしかない。それをどこから見るかで全く異なる表情を持つだけのことだね。となると、あなたと喜怒哀楽は一つでもあるわけだ。あの人もこの人もみんな喜怒哀楽であるとすれば、やっぱりあなたは笑顔の面ばかり見ていたいだろう。逆にその他の面は全く寄せ付けない別のものではなくて、笑顔を支えている大事な存在でもあるね。笑顔を絶やさないためにも、笑顔だけではなくそれ以外をすべて受け入れることでその笑顔は一層輝くわけだよ。