壊れた時計
大切にしていたものが壊れたとき
いつもずっと一緒にいた時計が突然壊れた。さしている時間がずれているようだ。正しい時刻を示さない時計は役に立たない。さて、新しい時計に買い換えるかと思ったら、突然また動き出した。なんだ。まだ使えるじゃない。そう思って電池だけ変えてまた動きだした時計を眺める。そういえは壊れるまではそこに時計があることを意識したことはないなぁ。時計は生活の一部としてすっかりと溶け込んでいて、そこにあることすらも意識しなかった。
壊れた時計がさしている時間
しばらく使っているとまた時間がずれる。あれ?この間電池変えたばっかりだけど。やっぱりどこか壊れちゃったのかな。ちょっと振ったり叩いたりしてみる。するとまた動きだす。なんだかとっても不安定。そろそろお役御免かな。思い出してみればずいぶんと長い間、大きく狂うこともなく時間を知らせてくれた。いつからこの時計を見て暮らしていたのだろう。ちょっと思い出せない。
それに、見ていたのは時計そのものでもなくて、針の指す時間だけ。壊れた時計の裏側には時を刻むマシーンが見える。小さく小さく鼓動を刻むようにずっと裏側で動いていた。そんなことすら気にもとめずにずっといた。今こうしておそらく何十年って動いていた小さな部品をじっと眺める。しばらく眺めていても一体どこが壊れているかはわからない。小さな小さな部品が生き物のように小刻みに動いているだけ。
流れているのは何
大事にそっと使っていたものがある日突然壊れたとき、それまで何とも思っていなかったのに、とても残念な思いと同時になぜか感謝の気持ちが湧いてくる。壊れるまではそんな気持ちになったこともないくせに。ずいぶんと時間が経った時計を改めて見ている。今までとは全く違う視点で見つめていると、時間が経つというのは一体どういうことだろうとふと疑問に感じる。時計が壊れても時間は止まらない。時間はどこに流れているのだろうか。この時計はどこの時間をさしているのだろうねぇ。