もともと神
なんとなく
あなたは友人のスゴ技を目の当たりにしてびっくりしている。そしてその次の句が「それってどうやったの?」って方法を聞いてしまうね。あわよくばあなただって同じぐらいに練習すればできるようになるかもしれないと思っているからだね。もちろん、それは不可能ではないし、むしろそれがきっかけで活躍している人もたくさんいるだろう。そこに能力や才能の差とか言うのは単なる嫌味と知ったかぶりだからあまりに気にしなくてもいい。とはいえ、あなた自身にもちょっと邪な考えがあって、身近な友人だからこそ無料でその極意をレクチャーしてもらえるんじゃないかとちゃっかり思っているね。
レクチャー
友人はあなたのためにその方法を説明しようと試みる。でもそれがどれほど難しく、切りがないぐらいの奥行きを持っていることは、その経験がある人は多くの人がぶつかる壁だろう。単に好きで夢中になって続けていたら、気がつけばそうなっていたことがほとんどだからだ。それを他人にわかりやすく解説するとなると、もうひとりのあなたがそれを俯瞰して、できれば理路整然と端的に説明できるように分離する。そう、その天才技がそうである所以を切り離す作業から始める羽目になる。テキストブック化されたあなたの極意は、あなたから見れば取るに足らないものに感じられるだろう。でも他人に知識として説明するには今の所そうするしかないもどかしさがそこにはあるね。
単純・反復
そこに絶妙なエッセンスやコツやスキルを求めてあなたは注目している。誰も気がついていないそれらで、あなたは天才技を披露できるようになるかもしれないという期待で胸がいっぱいだね。それも当人が習得したよりもずっと短時間で低コストに習得できるなら願ったり叶ったりだ。でもあなたが見落としているのは、その天才技は友人が友人でなくなったときに生まれるものだということ。ということはあなたの目の前にいるいつもの友人は、いつもの友人でしかない。あなたが友人から聞き出せる情報を、あなたがやろうとしている段階であなたとそのエッセンスは分離して一体化には程遠い。だから無駄だとまでは言わない。それがきっかけやストーリーの発端にはなる可能性を秘めているからね。でも、それで友人を超えることはほぼ不可能だ。あなたも無我夢中で単純な練習を苦もなく反復してあなたとそのエッセンスの分離の線が溶けてなくなったとき、友人のそれとはまた違う新たな神業がそこに生まれるだろう。なぜならあなたは、あなたという自我を纏った神だからだね。