数え唄

日々

どっち?

状況把握が十分でないときに、選択肢のうちの一つを選んで突き進むのは、手探りで当てずっぽうに砂漠の真ん中でオアシスがある方向を決めるのと同じだね。ずっとその場で逡巡したところで誰も助からない。そこには信念と覚悟が必要となる。ところが責任逃れが癖になってしまったような人がリーダーになると、体のいい言い訳ばかりが先行して検討中や、調整中や、広くご意見を賜り中ばかりとなってしまう。間違っていたらごめんなさいと言える覚悟があるのなら、決してそうはならない。人当たりがいい人ほど実はそういう傾向にあるから気をつけた方がいいね。あと普段はずいぶんジャイアニズムで強引なフリをしている人でも、結局肝心なところでは日和って口先だけになる人にも同様だ。それらの共通点は、結局は誰かに依存しないでやったことがないこと。残念ながらずっとこれまで自分の人生を一歩も歩いてこなかった人だね。

決断

これまで強引に決断してきたと自負があるような人でも、肝心な方針転換ではぼやけてしまう原因は、損か得かの判断はできても理念を自分で書き換えることができないことだ。その違いは簡単に言えば、自分のお財布のお金が増減することに関しては即断できるくせに、組織や仲間、社会全体においての幸せを増やす選択ができないということだ。なぜできないか、という理由もシンプルだ。すでにそれを考えられる能力のある人であれば、自分のお財布の中身だけで判断するようなことはしないからとなる。要するに決断できないのは自分のお財布の中ばかりを見ているからだね。お財布に入る、入らないは多くの人が即断できる。一方で、組織やチームをどうするべきかということに関しては、そんなのやったことがないからわからないし、それによって自分のせいになるのはもっと嫌だということになる。その人にとては損な役回りだからごまかすわけだ。

チキンレース

ま、そうやって爆弾ゲームのように最後に回ってこないようにと駆け引きしている間に、人生はあっという間に終わる。最後に損するのは嫌だと思うがあまりに、しめしめうまくやり過ごしたとホッと胸をなでおろしているつもりだろうけれどね。そうやって損得だけに頼って生きのびてきたけれど、結局は何も残らないことに最後に気づいて愕然とするだろう。あなたが必死になって生み出したその財産は、必ず最後にはあなた以外の人手に渡る。そしてその悪魔の連鎖は続くことになる。だから損得で生きることを否定はしないし、社会はそういう仕組みで動いている部分もあるだろう。ならどうして、損得だけでうまく生きていけないのか。実はそれはあなたが真実に気が付かないように仕組まれた巧妙な罠だからだよ。生きるために必死に小銭を数え、数え終えたらすべてが終わる。数えるだけの人生にならないようにね。