だましだまし
丈夫で長持ち
一昔前の日本製品は不格好で性能もそこそこだけれども、丈夫で長持ちを最優先した。なぜなら、耐久消費財と呼ばれたそれらはおいそれと買い替えるような値段ではなかったし、大枚はたいてようやく手にした製品であるがゆえに丁寧にメンテナンスさえすれば、長く使える少し過剰な設計になっていたわけだ。その製品開発をした彼は、メーカーの技術者としての矜持を持って勤めているけれども、一方で家に帰れば子煩悩の頼りない父であり、ユーザーとしての使い勝手も考慮した製品はなにかも知っていた。であるから、それらの弱点もわかっているがゆえに「だましだまし」使ったりしていた。この「だましだまし」使うというニュアンスはもはや今は通じないだろうね。
新機能
ところがこのことには欠点があって、これでは他社製品と比べた場合の優位性が担保できないね。だから自然と、他社と比べて何がどう優れているかをわかりやすくするための時代に移り変わったわけだ。一番てっとり早いのは新機能の追加だね。単一の役割を担っていた製品がさらに他の製品でやっていたことすらもできるようになると、二つ使っていたのがこれ一つになります、なんていうのが流行ったわけだ。それは一昔前から現代にも通じていて、例えばほんの10年ほど前までは、デジカメ持って、ウォークマンやアイポッドなどの音楽プレイヤーをもって、ガラケーを持って、ナビもあれば旅行の準備が完了した。けれども今はスマホ一つですべての機能がそこそこではなく、かなり高性能に使えてしまうね。
スペック至上主義
でも、スマホが旅先で壊れてしまえば新しいのを買う他なくなるのが現代だ。スマホを叩いたり振ったりしても調子良くはならないからね。それができたのもアナログな時代までだ。チャンネルやスイッチなどは物理構造だったから、ひと工夫でなんとかなったものだったね。しかし今はほとんどが電子制御だから、うんともすんとも言わなくなったらあなたができることは修理か買い替えしかない。油差したり、磨いたり、きれいにしたり、飾り付けたりして製品や道具と触れ合う時代はオワコンになった。弱点も欠点もすべてを理解するからこそ使いこなせる時代から、何も知らなくても誰が使っても常に最高性能を発揮するように変わった。だからあなたはそれをすべての人や物に求めるようになってしまった。スペックや性能だけが絶対軸になった世界は天国か地獄しかなくなってしまう。以前のように「だましだまし」に生きることが難しくなるからね。