小さなことからコツコツと

日々

不運

振り返ればあのときに、あとほんの少し早く出ていればバスに乗れたのに。バス停の少し手前で目当てのバスが通り過ぎるのを見るのは忸怩たる思いだ。そんなときはなにかに八つ当たりして自らの悔しさを紛らわせようとするけれども、それをしたとてどうなることでもない。そのことを内省して不運なことだと見るのか、単なるタイミングが合わなかったと見るのかで幸福度は大きく違ってしまう。シンプルに言えば何事も前向きに捉えることで、あなたの世界観も大きく転換する。そんなことは理屈ではわかっているものの、ああ、惜しい、あともう少しだったな、と思うのは仕方がないね。それはそれでそのままなんだからそれでいいはずだ。

ミスと失敗

バスを逃したことは、英語でミスという言葉で表現するね。ミスは日本語にも定着してしておそらくはよく使う言葉だろう。一方で失敗したといえば、たかだかバスに乗り遅れたぐらいのことには大げさに感じられるかもしれない。ミスは小さなエラーで、失敗はもっと大きい枠組みで捉えている。しかも失敗を恐れるなとか言って、都合のいいことに失敗は成功のもとなんてちやほやされる場面がある。失敗は大きく道を誤ったことであり、その影響範囲も大きいことなのに、ミスは撲滅、根絶を命じられ、失敗はおおらかに次頑張ろうとなる。同じ「うまくいかないこと」なのに、ミスは憎まれ失敗は前向きに捉えられるのは不思議なことだね。

チャレンジ精神

その根底には、四の五の言わずにやってみることへの偏重が見え隠れする。チャレンジ精神や挑戦という類の言葉はポジティブシンキングとして、どちらかというともてはやされている。何かを変えるときはもちろんこの挑戦は重要な試金石になることはある。けれども日常の忌み嫌われるミスを減らすことでも同様な効果があるし、むしろカイゼンと呼ばれる変革は大言壮語でなし得ることは少なく、むしろ日常のミスに向かい合うことでそれが実現することの方が多い。スーパーヒーローが世直しするわけではなく、目立たず騒がずうっかりミスをコツコツと軽減している目立たないあなたの方が主役だってことだね。小さな見えないあなたの熟慮と修正が大きな変革を生み出しているから、うまく行けば小躍りして喜び、ミスったらああ悔しいと地団駄を踏んで一喜一憂するそのまんまでいいんだよ。あなたがこの世の主役であることは間違いないんだからね。