幻想社会

日々

平均

今とても幸せに過ごしている人も、不幸の真っ只中にいる人も、そもそもなぜそう感じるかを考えてみるといい。それらを決定する要因はなにか。いわゆるそれは世間の常識であったり、これまで教育されてきた基準であったりするわけだ。もちろん、人間社会は集団生活をするにあたって同じに見るという特殊能力を身に着けたせいで、みんなとかけ離れたことに関してはいわゆる平均から離れた外れ値であるゆえに、それらを判断するデータが多くは存在しない。偏差値で言うと、とびきり平均より上振れすれば有名進学校となり、下振れすればそうでない学校とされる。健康診断での判定結果もそれで、皆の平均値より外れていれば異常と診断される。そう、あなたの幸せや不幸せは平均値よりどれほど外れているか、ただそれだけが絶対的なものさしになっていることに気がつくかな。

普通

同じに見る能力を言い換えれば社会性とも呼ぶ。周りの行動に自らを合わせられる人を幼い頃から叩き込まれ、集団行動ができる人を優秀とするのも平均的な行動ができるからだ。その平均的な行動を臨機応変に可能としているのは、即座に周りの状況を把握して、その平均値を算出してそれに自らの行動を制御できる能力だ。これが欠落していたり不足している人は、集団生活をせざるを得ない文明社会においては邪魔な存在となっていまうから、異常と判断し治療したり更生したり、それが不可能であれば隔離するのが市民社会の構造となる。誰かを叩くことに快感を感じるような人が身近にいると、集団生活が困難になる。そういう人はそうでなくするか、それが無理ならば違うところに押し込めて別々に暮らすのが正解となるわけだ。

平均人

ところが、平均的な人という虚像を生み出したとして実際にそのとおりの人はなかなか見つからない。なぜならばそれはあなたが恣意的に決めたパラメーターをもって生み出す架空の人物像だからだね。全部平均値になることを喜ぶのはおそらく健康診断の数値ぐらいなもので、能力や才能や魅力や、できればお財布の中身はできれば平均値より上回ることを虎視眈々と狙っているのが本音だね。それを目的として、あなたも、企業も、専門家もあらゆる行動の動機づけとなっている。いわゆる競争社会と呼ばれる所以だ。それも幼い頃から叩き込まれてきたね。誰が一番かをずっと競い合って生きることが良き人生と教えられてきているわけだ。平均値は健康診断の結果だけでよくて、それ以外はできれば周りよりも上位になることで生き残りをかけたサバイバルゲームが人生そのものだ。逆にそのゲームに参加しないならば社会的に抹殺されてしまう。伸るか反るかの二択だと迫られているからそうなる。でも、そのゲームの仕組みをわかったならば、もしかしたら選択肢はさらに増えるかもしれないね。