目の前のことから
孤高
誰も自分のことわかってくれるような人もなく、わかることができるような資質を備えた人もいない。正しく評価することもできず、おそらくは何をやっているかという判断もできない。そんなところで頑張ったところで徒労に終わるから適当に手を抜いてやろう。そう思うかもしれない。でもたとえそれがそうであっても、あなたは目の前のやれることを丁寧にやるのはそれで大丈夫だ。何も心配しなくてもいい。わかってくれるとかくれないとかは、損か得かといういつもの癖であって、それだけを行動指針にしてはいけない。それを基準にしてしまうと、まさにあなたは損得勘定という悪魔に自らの人生を捧げるはめになるからね。
環境
そう、それはよくある話で、いわゆる環境が悪いとかと言われるケースだね。とにかくどれほど頑張って成果を出したとしても、その成果の計測方法がそもそもあんぽんたんで何が起こったのかすらわからない。そんな状況でも手抜きせず、丁寧に目の前の課題に取り組むなんて狂気の沙汰だろう。そんなことに二度と戻らない人生の貴重な時間を費やしている場合ではないと焦るかもしれない。でも、実はそれが一番のやるべきことであって、それに真摯に向かい合うことはまったくもって正しい。逆にあなたは時間を損したと思っているかもしれないけれど、そのことで世の中が大きく変わっていったのがわからないから、相変わらずの古ぼけた損得勘定であなた自身を評価しているだけに過ぎないね。
痛み
こんなときにまた足が痛くなってきた。せっかくの旅行を楽しみにしていたのに、こんなことになるとわかっていればあの時一所懸命に外回り営業をしなければよかった。なんて思い始めてしまうと、単に足が痛いという事象を余計な脚色をつけてさらに最悪な事件と変えてしまう。そしてさらにそれは加速して、最悪な事件に襲われたあなたは常に人生における悲劇の主人公であって、このままでは死んでも死にきれないという孤高の存在へと昇華する。その瞬間に人間界の損得勘定によって太鼓判を押された下世話な神が爆誕する。別名「鬼」というこの邪悪な神の行く末は、多くの昔話のストーリーが指し示している通りとなるね。仕事の「鬼」やなにかの「鬼」になるよりも、単に目の前のあれこれに取り組み、汚れている部屋を掃除し、散らかっている机の上を片付けるだけでこの世は美しく輝いていくのだから。だから安心してね。