今じゃない
タイミング
わかるときが来たら自然にわかる。でもその時がこないとどんなに説明に心を砕いたとしても、わかりそうでわからない。そういうジレンマを皆が抱えて生きている。そのタイミングがズレていると誰も幸せになれないことは、これまでのいろんなことを振り返ってみればすぐに心当たりがあるだろう。なら、わかっている人がわからない人に説明すること自体が無駄な行為なのか、という疑問が生まれる。結論から言うとそれは決して無駄ではない。なぜなら、わからないタイミングがあって、たしかに説明には一理あるかもしれないけれども今のわたしはそうではない、という立派な効果がそこにあるからだ。もしくは、いつもガミガミ言ってきて、あの人は本当にわたしのことを微塵にもわかってない人だ、と関係を遠ざけてしまうかもしれない。それも重要な効果だね。それはタイミングが合ってないので距離を置いた方がお互いの不幸をそれ以上増やさないという素晴らしい行動だからだ。
共感
そうなると、わかり合えることは奇跡に近いことだと気づくだろう。一瞬でも同じ思いになれたとしたら、そんな僥倖は二度とないんだ。そしてその共感は今同時に起こるからさらにすごいことだね。もちろん、あとになってみれば、親のありがたさを感じたり、友人の助言をふと思い出して、ああ、あのときに必死に伝えようとしていたことはこのことだったのか、などと感じることも多々あるだろう。それはそれでいい。それも時限発火した重要な効果だ。でも今まさに、そう、それだね、と言い合えることは、日常に埋もれているけれども実は奇跡であって、それこそ世界が変わる瞬間でもあることは心に留めておいたほうがいい。そうすることでそれ自体を愛しく思えて幸せが倍増すること間違いなしだからね。
機会
ふと思い出してみれば、あとになって効いてくるような助言やアドバイスをしてくれた人は出現が早すぎたのだろうか。いや、それはそうではなくて、今ふと思い出したこの瞬間を生み出すためにその当時に現れたんだよ。だからこそすべてにつながる今がここにある。小説で言えば伏線みたいなものだけれども、ほんの少し何かがまたズレたり逸れたりしていればこの瞬間は永遠になかったわけだ。もちろんタイミングがばっちり合えばすごいことなんだけれども、タイミングが合わなくても何も気にせず、あなたが言いたいことがあるのならば、聞き入れてもらえないかもしれないなんて考えずに思ったとおりに伝えたらいいね。もちろん、それで関係がうまくいかなくなったとしてもそれはそうなるタイミングであって、目先のそれだけでは無駄だとは断言できないんだからね。