人生は休日
リフレッシュ
せっかくのお休みなんだから、どこか遠くへ出かけてリフレッシュしたいな、なんて思うのに何も違和感はないだろう。あるいは、お休みはまさに休息に当てるべきだから、のんびり部屋に引きこもって眠れるだけ寝て、起きたら買い物とかに行かなくても住むように食料と飲み物を週末に買っておく。そして好きなだけゲームをしてダラダラお家ですごすのが一番だという意見もあるね。先のせっかく派からすると、もったいない休日の過ごし方だと批判されるだろうし、のんびり派からはせっかく派は結局は休日といえども、一秒たりとも心休まらない過ごし方だと非難されるだろう。さらにマスメディアはせっかく派を推進する。なぜならリフレッシュの対価としてストレスで稼いだお金を取り返せるからだろう。
オンとオフ
公私混同とか、オンとオフとか、今どきだとワークライフバランスなんて言ったりして格好つけているけれども、そんなものはすべて社会を仕切る人が生み出した都合のよいマヤカシだね。そもそも動物としてのヒトにはそんなものはない。要するに会社勤めはストレスと疲労の塊であって、辛いことが当たり前という「洗脳」がそこにある。まぁ仕事というのは面倒だったり普通は嫌がることをやることで対価を稼げると定義付けられてしまっているから、嫌で辛い時間だとされている。だからそのバランスを取るために、快適で健やかな時間を休日としているわけだね。今でもほとんどは平日と休日をカレンダーで色分けして、多くの人がロボットのようにそれに従って縛られる生活を送っている。これを普通だと思っているけれども、かなり異常だと言わざるを得ないことを看破できる力がある人が、皮肉なことに社会的不適合者だとか異常だというくくりに入れられてしまう。
あなたの時間
同じ時間を楽しい時間とそうでない時間に分けると、同じ二度とこない今を快適・不快で分けることになる。同じ素晴らしいものを無理やりいい悪いと分別させられているわけだ。どれもこれも大切な人生なのにね。そんな権利は誰にもないはずなのに、そうでないと不適合の烙印を押されてしまうから、むしろ率先して世の中の厳しさだといって得意に他人に説いて回る人も出てくる始末だ。悲しいことにそうやって周りに適合する能力が高ければ高いほど、世渡り上手になるのは事実だね。ただ、彼らに聞いてほしいことは、それがあなたにとって幸せだったのかということ。悔いのない十分に納得した人生だったのかということを実感しているならばそれでいい。けれども、後出しジャンケンのように、最期に実はと告白するならば、その前に変わろうよ。休みの過ごし方が仕事の能力と関係があるとか、仕事と休みのバランスが大切だとか、そもそも仕事好きな人が休まないのは良くないとか、どれもこれもすべてはマヤカシだね。仕事であろうが、遊びであろうが、あなたの時間が連綿とそこにあるだけだ。お金をもらうとかもらなわないとかで時間に色をつけるのは権力の洗脳でしかないよ。気をつけてね。