不都合な自然
うまくやろうとしない
何もかもうまくいかないね。あなたがそれをどんな思いを込めてやっているかなんて、微塵にも伝わらない。だから半ばやけくそになって意地になってがむしゃらにやっている。もう誰のためとか何のためとか気にもとめずに、強いて言えばそこに自分を貫き通すためだけにやっている。もしそれが本当に辛いのならすぐに諦めてやめることをおすすめするよ。もはやそれは誰も幸せになれない行動だからね。もっといえば、わざわざ自らを悲劇の主人公に仕立て上げるためにわざとやっていることにもう気づいているだろう。だからあとは誰かにそっと「もうやめていいんだよ」と言ってもらえるのを待っている。それもあなたが生み出したあなたのための演出だね。
自己承認
前からあなたは自分で自分を認めてあげることが下手くそだ。なぜならずっと怒られて育ってきたからだ。何をやっても叱責され、否定され続けているとどうやったら自己承認ができるのかを見失ってしまう。身近な友達が、シンプルに素敵だと言ってくれたことをまっすぐに受け止められない。憧れていたあの人にも、そのままでいいと言われても懐疑の念しかそこに映し出せない。他人からは無理ならば自分探しでもしようかと思ってみたりするものの、自分で自分を探したところで、長所なんてこっ恥ずかしくてまともに対峙できず、短所ばかりを上げへつらって自分で自分の首を締め続けて「苦しいから誰か助けて」と言い続けている。
不自然
すべては不自然だね。その不自然さは科学や文明によって増幅されてしまう。なぜなら自己否定とかセルフネグレクトなんてのは自然ではないから起こるものだからね。自然とは朝起きて、身近にやるタスクをつべこべ考えずにそのまま寄り添うように、気がついたらやっていること。そして夜になって眠くなったらあれこれと起こりもしていないことを心配しないでぐっすり眠ること。それだけで十分だし、それ以上は異常なんだよ。自然とはただ起こることであって、出来事もただ起こる。あなたが望むことだけが起こるのは不自然だ。あなたが望まないことだけが起こるのも自然ではない。ただそれらは起きているからあなたもそれに寄り添えばいいだけ。それが全くの自然、ありのままということだね。不自然の根本は自然に色をつけることだ。青い空に茶色の色を塗ろうとするから苦しくなる。ただそれだけのことだ。