曼荼羅

日々

無駄遣い

そもそも生きることそのものが無駄遣いである。巷であふれる地球に優しいとか、自然を守ろうとか、それ自体が誰かの思惑でそうなっているだけで大いなる茶番だね。それなら人生は短く、人口は少なく、文明を捨てるしかないんだけれども、もはやそれは後戻りできないとされている。後戻りできないのは人間が欲望を捨てられないからそう言うしかない。一方で貧困をなくし、皆が等しく豊かな暮らしを実現しようと言っている。地球に優しくしながら、もうすぐ80億を超える人間が豊かな暮らしが実現可能だとは誰も本気で考えていない証拠でもある。カビや細菌の類で表現するのははばかられるだろうけれども、もはや地球は腐敗し始めていると言って差し支えないかもしれない。

尊い命

生命に対して特別に慮っているのは人間だけだね。自然を観察して随分前から生命は循環であることを知っている。すなわち自らの命を特別視する気持ちは人間には自我があるからであって、自然全体で言えば循環する一部でしかない。宇宙や地球の歴史から比べると、人類誕生からはまだ一瞬でしかない。今後も絶滅するまでしばらくは地球上の生物の一例として人類が存在するだろうけれども、それもおそらくは宇宙レベルの時間の規模からすると瞬きするほどの時間でしかないだろう。当事者として大問題だと騒ぐのはもちろん理解できるけれども、何をどうやっても自らの命を永らえるという本能として行動することしかできない。さらにそれは他の生命とバッティングするのは必然であって、それを文明と知恵で回避することを模索しているけれども、いずれにせようまくいくことを願うしかない状態でしかないね。

スペース

だからといって何でもかんでも投げやりに行動すればいいと言うわけではない。それらをすべて知った上で工夫して生きることをせっかく今を生きるのなら楽しめるといいね。いわばスケールが大きすぎる問題を横目で見つつも、等身大で今を大切にすることしか選択肢や方法はない。そんなマスメディアで喧伝されている世界的なニュースよりも、今豊かさを感じつつ生きているかを判断基準にすればいい。おそらくそれは学校で教わる世界平和やSDGsとは違うかもしれない。でもたかがあなた一人が傍若無人に振る舞ったとしても何も変わらないことは間違いない。でもそんなことしてしまっては今この瞬間が楽しくなくなってしまうね。そこが基準になれば実は世界で求められていることとそんなに違わないことに気づくだろう。それはいつも近所を誰に言われるともなく、いつも楽しそうに清掃しているおばさまが一番良く知っているよ。