誰もが歴史学者
過去は今
これまでをずっと振り返ってみても、なるようにしかなってないことに気がつくだろう。もちろん、分岐点や究極の選択はそれなりにあっただろうけれども、今から過去を振り返ってみればそれは必然だったんだと感じることが多い。それもそのはず、過去は実は今生み出されているものだからね。歴史的事実のように思い込んでいるだろうけれども、毎年社会科の教科書検定が問題になるように、例えば日本史は日本の為政者の目線で描かれている。そしてそれを少し視点を変えてみれば全く違う日本史がすぐに出来上がるところからも、現代が過去を生み出しているといって間違いないね。鎌倉時代がどうだとか、聖徳太子はいたのかどうかとか、そんなこともすべて権力側の史実でしかない。もちろん庶民の記録なんて大昔には存在しないから必然的に残った記録をかき集めてなんとか無理やりまとめるからそうなるわけだ。
捏造
記憶の断片があなたの思い出を作る材料となっている。そしてそれをどう組み立てるかで全く違う歴史が生み出される。そしてそれを生み出しているのは今でしかない。そのことからどれほど記憶に基づいた歴史や経歴がおとぎ話に近いものかということがわかるはずだね。それはそれで昔話として振り返る度に楽しめるものならそれで全く問題ないね。むしろそうやっていろんな自らの過去を創作することで人生に潤いをもたらすのであれば、どんどんやるべきだと思う。けれども、一番くだらないのはそんな捏造した過去を拠り所として、今を決めつけようとして苦しんでいるのはやめたほうがいいね。それはとってもセンスの悪い遊び方にしか見えない。そもそも過去やこれまでの経歴に軸足を置くなんて行為は、夢物語を本気で信じるようなファンタジーでしかない。だから経験則はときにほどほどにしておいた方が無難だね。
歴史は繰り返す
そもそも歴史はなぜ繰り返しているように見えるのか。その原因はまさにここにあるね。歴史なんて絶対的な真実のように捉えてしまっては危ないね。同じことを繰り返しているように見えるのは、歴史が今生み出されているからに過ぎない。さらに言えば、時間は現在から過去に流れているように錯覚しているけれども、それは逆だね。未来から現在に向かってきていると考える方がいい。過去は振り返るほどのものではなくておそらくそれは現在でしかない。記憶も脳のシナプスが生み出しているとされているけれども、それは今の構成がそうなっているだけだね。ということは過去はやっぱり存在しない。時間が過去に向かって流れ続けているという概念では、今も存在が危うくなって、すでにコンマ数秒後にどんどん今が過去に変質することになってしまう。さらに言えば時間すら現代では否定されている。いずれにせよあなたが思うこれまで何とかにこだわるのはやめておいたほうがいい。それよりやりたいその思いをどんなことよりも最優先すればいいね。