心のお掃除

日々

あれもこれも

だいたいは足し算であることが多くて、お金は増える方がいいし、持ち物も多い方がいいし、肩書も複数使い分けられる方がいいと思っている。新製品の機能は他社よりも多い方がいいし、バッグのポケットも多い方が使い勝手があがる。とにかくみんなでプラス1をすればトータルではどんどん爆発的に増えていくね。それが大量生産、大量消費の時代を生み出し一時的な経済発展をもたらした。どんどん増える方がいいわけだから、お家の他に別荘を建てたり、テレビも一人一台だし自転車だって共有ではなく家族それぞれだ。それが豊かないい暮らしとして求められた反面、裏側ではいろんな犠牲が払われていたのはもうすでに明るみになっているね。

分ける

独り占めするそういうやり方が最近少しずつ変わってきた。ほんの少し前ではお醤油やみりんなんて、ほんの少しならご近所さんに借りに行ったものだね。あるいは自転車も、さらには自動車でさえ使う予定がなければ気軽に貸し借りをしていた。困ったときはお互いさま、なんていう言葉が日常の生活にすっぽりと当てはまっていたわけだ。現代でもリユース、リサイクルなんてカタカナ言葉があるけれども、お互いさまとは大きくかけ離れている。それは、貸し借りは所有権は移動しないね。リユースやリサイクルはともに「もったいない」という日本古来の精神だとか喧伝しているけれども、実は「所有権の移動」によって業者が商売しているに過ぎないのだからね。だから専有するという意識は何も変わっていない。

掃き掃除

誰の道でもないけれども家の前の落ち葉やゴミを掃除している。それが朝起きた後の日課であるから、それが一日の始まりとも言えるね。そうやって誰のためでも何のためでもなく、目の前の道を掃除していた。ここからはお隣さんだとか、ここまではうちの道だとか、そんな細かいことも気にはしつつもね。でも一番はあなたが見える範囲をあなたが思うように整えたいと思う方が勝っている。だから、きれいにすっきり一日をはじめるための自然な行為に過ぎないからこそ、よっぽどのことがない限り、力むこともなく、侮ることもなく、ふんわりと続けることができるわけだ。まるで深呼吸するかのようにね。朝が慌ただしくなったのはつい最近のことでしかない。今ではそんな掃除の時間はご褒美の時間として、とても貴重なもの変わったようだ。