目くらまし

日々

大げさ選手権

最近はマスメディアだけなく、SNSなんかも大げさな表現が氾濫している。誇大広告だと違法になってしまうけれども、映える写真ならギリセーフだね。そのために会心の出来の一枚を求めて何時間もかけたりしている。映えてバズるためにはそれぐらいの苦労は当然なんだろう。より美しく、よりきれいで、人が羨むのような映像作品がまたたく間にネットに数多駆け巡る世界。日常でありながらも、あなたの日常と比べて、少しいい暮らしをしている様子をアピールするためにそれらはどんどん増えていくんだけれども、結局は誰が何のために肥大化しているんだろうね。それを見てあなたは悔しい思いを一人でしているみたいだけれども、一体その感情はどこからくるんだろう。

あなたは何位?

幸せであったり、豊かさであったりする生活を送っているのなら、それはとても素晴らしいことだね。だけど、それを人と比べようとした瞬間に苦しみと悩みに変わってしまう。豊かさは競い合っても豊かにはなれないし、幸せを比べあっても幸せの度合いが変わるわけではない。なんでも人と比べられると思い込んでいるのは、学校の成績で叩き込まれたものだね。身長や体重、血圧や検査項目の良し悪しから始まって、年収がいくら、学歴がどこの学校だとか、家柄がどうとかで幸せが決定するらしい。挙句の果てには占いまでも順位付けされて1位はこの星座とか言い出す始末だ。特に都市部の生活においてはランキングが重要な関心事になっている。

目をそらす

何かをみるときに、どれが上でどれが下という癖があるから、ムダに劣等感だけが心に大きく根を下ろしてしまう。そもそもそんな気持ちは生きるのに全く必要がない。ところがランキングを正当化して従順なあなたを飼いならすために、劣等感からくる自分探しという詭弁が生まれ、悔しさをバネにして勝ち取るみたいな闘争心を刺激して苦しめるように仕向けている。それらに本質的な意味はまったくないことに気がつくだろうか。それともすっかり為政者に飼いならされてしまっているだろうか。順位を決めるのは大局から目をそらすための魔法に過ぎない。あいつよりいい暮らしを、幸せをとそればっかり気にさせて、そう仕向けている側に目を向けられるないように仕込んであるのだ。だってみんなにそれがばれて気がついちゃったら思ったとおりにならないからだろうね。きっと。