思う世界
どっち?
一つのことをどう思うかで世界が一変する。いつもついてないと嘆くと不運の連鎖が起こるのは、不運に敏感になるからだ。逆に、いつもなんてラッキーなんだと喜んでいると、幸運の女神様に感謝するようになる。だからといって無理やり全部良いことだと思ってみても、それには無理があるから決してそうはならない。何が起こるかというと無理に変換する癖で頭がいっぱいになってしまう。素直に感じたままでいいね。でも、その境目は一体どこにあるのだろう。良いこと、ついている、ラッキーと思うあなたと、悪いこと、ついてない、不幸だと思うあなたにはどこか境界線というか、基準があるはずだね。実はどっちでもない微妙で、判断が難しいことがほとんどの毎日じゃないかな。
思うが叶う
そうであるなら、できればなりたい方にジャッジを下すことが多くなる方がいいのはすぐにわかるはずだ。良いか悪いか微妙なケースも、いつも悪いと思う癖がついていると、極端で明らかに良いと思えないことは全部つまらないことに分類してしまう。よく考えてみればそれほどついてないことではなくても、ラッキーだと断言できないことを十把一絡げに、ほらやっぱりあなたは不幸だという分類に入れてしまう。その癖が強くなればなるほど、あなたにとっては毎日がハードゲームとなってしまう。そしてそれを不運のせいだと決めつけてしまう。そのことで本当にどこをどう見ても人生が積んでいると決めるほかないね。そう、あなたがそう思うことが現実の世界でかなってしまうわけだ。
希望
まずはどうなりたいか、どうありたいかという思いが強くなればなるほど、どんどん不足している部分が顕著になってくることに気がつくことだ。あなたにとっての幸せはいつのまにかありえないぐらいに大きく肥大化してしまって、現実ではありえないことだらけになってしまっていないかな。もっと偉くなりたいとか、もっとお金が欲しいとか、もっと良いものに囲まれたいとか、その思いはすでに暴走気味かもしれない。どうして暴走してしまうのかと探ってみると、目の前のラッキーをあなた自身が踏みつけているからだね。たくさんの良いことでも悪いことでもないことがすべてあなたにとっては最悪なこととして足元に放り投げられている。まずはそれをやめるだけで少し心が楽になるかもしれない。たまには遠くばかり見つめるのではなく、近くに目を向けてみよう。探しものはずっとあなたの側から見つかるかもしれないからね。