雲は流れている

日々

嗜好

誰にでも好き嫌いがあるし、得意不得意もある。だからどうしても好きなこと、得意なことに執着しがちではあるね。逆に言えば嫌いなことや不得意なことを、それ自体辛いことであり苦しいと感じる。だから好きなことができない状況にあるとすぐになんて不幸な私と思ってしまう。それはわがままだよと誰かにアドバイスをされたところで、そう簡単には納得できないよね。でも現実は非情にもなかなかあなたの好む状況や事柄がどんどん起きるわけでもなく、どちらかというとちょっと気に入らないことの方が多い。だからとても苦しく生きることそのものが辛くなってしまいがちだ。もちろん辛いことから逃れるのは本能でもあるから、一人で抱え込むことはおすすめできない。けれどももしほんの少しまだ余裕があるうちなら、なぜそれはそうなのかを改めて見つめ直すのもいいかもしれない。

変わること

不得意なところを徹底的に得意にしようとか、苦手なことを克服しなければならないという風潮が強すぎる嫌いは否めないね。おそらくそれは幼少の頃から言い聞かされ続けていて、得意なところはそれほど褒められることも認められることもなく、どちらかというと不足している能力を指摘されて続けてきたからだろう。なぜかまんべんなく優秀であることを求められていると教わっているから、辛くても嫌いで不得意なことこそ頑張らなければならないと思い込んでしまっている。それがどうしても受け入れがたいときにさらに不幸な選択をわざわざしてしまうね。そうではなく、得意なところをさらに磨きをかけると自信につながって、結局はトータルで楽しいことや嬉しいことにあふれる毎日を送ることができればそれが一番良い。ところが、それもそんなにうまく行かない。それで結局はあなたはあなたを今みたいに責めてしまってわざわざ不幸を増幅してしまっているね。

受容

すべてを受け入れなさいとかありのままのあなたでいなさいとか、そういう励ましの言葉や優しい言葉でさらにあなたは追い込まれてしまう。その本来の意味をやっぱり全方位で優秀であることだと勘違いして解釈してしまうからそうなるね。そうではなく、好きも嫌いも得意も不得意もあなたがそう思い込まされているだけで、実はそれほどの差はそこにはないのが本当のことだよと伝えているに過ぎない。そう思い込んで一人悩んでいるあなた自身をまずは認めることがすべてのスタート地点だ。そうすると日々あなたを悩ませているあまり望まない出来事も、好きで得意で小躍りする出来事も、その本質はただ起きているだけのことだと見抜くことができる。もっと言えばあなたを悩まし続けている好きも嫌いも得意不得意も実在しないということだね。あなたはただそれらを眺めていればいいだけだ。空を漂う雲を見つめるようにね。