それがないと無理

日々

必需品

インスタントな現代社会で生きるには、何かをするためにはこれが必要だ、という風潮が強い。専用品とやらを名乗って堂々と存在している。もちろん専用品はとても使い勝手が良くて、それ自体を使うだけで効率がアップするだろうし、余計な手間もかからない。さすが専用品だけあるなと感心することが多いね。特に身近な例で言うと工具がそれにあたることが多いね。単純に2,3個のネジを回したりするだけだったらどれでもいいような感じがする。けれども仕事上たくさんのネジを回さないといけなかったりするときには、やはり道具がすべてにおいて重要なことがすぐにわかる。だからやっぱりプロの道具と簡易的な道具の違いははっきりしている。

工夫

仕事においても、DIYにおいても専用品はあったほうが便利で楽だし、しかもネジを舐めたり他を壊したりしなくてすむ。でも専用品は汎用品ではないから自ずと高価な場合が多いね。それを生業にしているのなら安すぎるぐらいなものでも、一生に1,2度使うぐらいのものならちょっと手が出しにくい。そこでなんとかそれに近い機能を汎用品で生み出せないかと考える。そこで創意工夫や知恵が発動するわけだ。プロならそんなことは必要ない。それは何度も使う場面があるからね。でもサンデーメカニックならば、今この瞬間に一度だけのことが多い。だから、専用品に近いことができればいいだけだね。だから耐久性や再利用ははじめから想定外だ。だからこそ自由に再定義することができるね。もちろんプロから見たら顔をしかめるほど本来の正しい使い方とは大きく異ることになるだろうけれど。

知恵

先人はそうやって自然界の中をそこで手に入る何かで生き残ってきた。都市化した現代ではそれもそんなに必要はなくなった。けれどもそんな油断が自然の脅威を見誤ってしまうことにつながっているのも事実だね。すなわち状況分析が甘くなって、これが命に危険を及ぼす事態に発展するのか、そうでないかを嗅ぎ分ける本能が失われつつあるということでもある。野生の動物は臆病に見えるぐらいに常に周囲に警戒心を持って行動している。でもあなたは寝ぼけながら歩いてすぐのコンビニまで買い物へ出かけることに何の危機感もない。そんな時代を享受しながら人生なんてクソゲーだと嘆いて哀れんでみたりする。今更自然に戻ることはできないけれども、何をするにも足りないと思い込まされているだけで、たまには今持っているものでなんとかならないかを考えてみてもいいかもね。それだけでいつも見ている視座から少し移動することができるかもしれない。