脅威分析

日々

発見

日々色々なことに気づくことができることは良いことだとされている。好奇心旺盛で探究心が強い人は一般的に優秀で、他の人が思いつかないようなアイデアを見つけ出したりすることができるのがその理由だね。もちろんそれは人類にとっての進化であり、その結果こんなに便利な世の中になったのは言うまでもない。衛生的で安全で他の動物と違って枕を高くして眠れる環境を手に入れて、長生きすることが当たり前になった。それで未だに新しい風邪が流行っていることで恐る恐る生活している人が少なくない。これまでもいろんな謎の病気が解明されて、治療可能になってきたおかげで寿命を伸ばしてきたわけだから、これからもまだ知らない疾患はどんどん現れてくることは容易に想像できる。

未体験

人類にとって未体験なそれらは、どうしても注意深く観察せざるを得ない。そしてこれまでの知見をフル動員して予防することも必然だね。ここまでのことで反対する人はそれほどいないだろう。ところが、よくわからない病気に対してこれまでやったことのない方法で対抗しているのが現状だね。もちろんだんだんそのデータが集まりつつあるから、今後の対策について活用されることを期待している。けれども、そういう新しいパラダイムシフトが起こったときに、意見が二分するのは珍しいことではない。どう考えるかはもちろんそれぞれで判断すればいいだけのことだ。ところがお互いに押し付けると争い事になる。これもよくある話だ。感染症はみんなの責任ということで過激になったり、反社会的な行動だと言い放ったりする人もいるみたいだけれども、そんなに神経質になるほどの脅威かどうかもきちんとエビデンスで示すことも重要だね。

集団ヒステリー

様々な考えが許容される社会が一番望ましいとされている。もちろんその中では人を傷つけるのが好きだとかいう人もいるかもしれない。どこまで許容できるかは法律によって明文化されているのが法治国家だね。だから本当に集団の命や多くの人々の命を脅かすものであればルール化しなければならない。そこまででなければ基本自由である方が多くの人が暮らしやすいみたいだ。もうそろそろ決着をつける頃合いだと思うんだけれども、純粋に多くの人が健康的な生活を送るというテーゼから離れてしまった利権とか金儲けとかそういう政治的な駆け引きに巻き込まれてしまっては、おそらく分断化はどんどん進んでいくだろう。それを個々人でやりあっている状態は、一種の異常事態であり、おそらくそうしておきたいなにかがあるのかもしれないね。