成分

日々

マイバイク

やや古くはなってきたけれども、大事に乗っていた。そのためには消耗品やメンテンスは欠かせないね。タイヤやブレーキ、エンジンオイルやクーラントはどれほど大切にしても交換のタイミングがやってくる。走行距離も関係するけれどもそうでなくてもある程度の年月で新しくすると、バイクの調子もあなたの気分も快調になる。ときにはコケたりして傷がつく。それもまた思い出となる。そんな機械の塊に対して愛着を抱いていることにも気づく。まさに愛機だと呼ぶにふさわしいわけだ。ところがメンテナンスしていると、交換したパーツが手元にあったり、ひどくなればエンジンそのものを入れ替えたりもするね。それはまさに愛機の一部であるけれども、バラバラにしてしげしげと眺めていると、まさにこれは単なる金属の塊にしか見えないね。

集合体

どうやら、大切にしている我がバイクはバラバラになるらしい。バラバラになった後のそれぞれのパーツの呼び名はきちんとあって、およそいつもまたがっているそれとは違うね。何を当たり前のことを言っているんだと思うだろうけれども、それを今度はあなた自身に向けてみよう。あなたはあなたがそこにいると思っている。あなたは何でできているかを考えてみよう。バイクはタイヤやフレーム、エンジンでできている。そのどれかが欠けていてはそもそもバイクらしきものであって、走ることすらままならない。あなたは頭、胴体、手足でできている。特に頭の中に意識が生まれているから、頭さえあればあとは欠けてもあなたでいられるのだろうか。バイクで言えばエンジンさえあればバイクだと言えるのかといえば、まずそうではないとわかるけれどね。

構成要素

とにかく、バイクは金属のパーツやらゴムやらでできている。それを上手に組み合わせることでバイクと呼ばれるものができる。タイヤを2つから4つにすれば自動車っぽくなる。同じようにあなたもいろいろなパーツでできており、それらの相互関係が機能することでようやくあなたができあがるわけだ。現代科学で紐解いても結局は、バイクもあなたも何らかの元素でできていて、もっと細かくすればクォークになる。さらにそこからも分解すれば超弦理論となり、単なる固有の振動でできている。あなたもバイクももとは同じものでできているとも言えるし、あなたは特別にあなただと言うことはその点では無理があるね。バイクとあなたというものはどちらも総合体であって構成要素のように実在するものではないということになる。バイクやあなたをばらばらに分解しても、バイクやあなたしかない核心である「なにか」は見つからないからね。