点滅する私

色々

どうにも止まらない

じっと目を閉じていても、心に移りゆく思いはどんどん変わっていく。目を開けてぼんやりスマートフォンの写真を眺めていても、スマホの画面はついたり消えたりを高速に繰り返している。まさに目にも止まらぬ速さで地球は回転しながら太陽の周りをぐるぐる移動しており、気がついたら日が長くなったり短くなったり、暑くなったり寒くなったり、そうやって季節が変わっていくと科学は説く。止まっているようで実はひと時も休むことなく、生物の細胞は新陳代謝を繰り返していると理科の先生は言う。そして自分はといえば、今も気がついたら貧乏ゆすりしながら点滅するPCの画面を見てキーボードを打ち込んでいる自分がいる。どうにもじっとしていることはない。

ずっと変わらないもの

視点を変えるとものすごいスピードでめまぐるしく動き回っているらしいけれど、なぜか自分はここでじっとしているように感じているし。大した成長もなく何も変わらないように見える。ちょっとずつ変化していることは昔の写真を見てわかる。歳をとって老化している肉体をそこに感じる。でも心の目でみると、何も変化しないと感じて、そんな自分に飽き飽きしてたりする。そのせいか、ありもしないずっと変わらぬものに強く惹かれている。決して捕まえられない、変わらないものを手に入れたくてあちこち探し回る。永遠の生命、美貌、若さ、失われない才能、地位、名誉、使いきれないほどの大量の財産なんかにぼんやり憧れている。

あったりなかったり

「なにもない」というのがそこに「ある」。あるものしかわからない。本当にないものは「ない」ことすらわからない。なんだ、この自己矛盾は。ここにいてじっとしている私はどこにもいない。風がふけばそれを感じ、食べ物を食べると味を感じるけれど、刺激がなければなにも起こらない。常に外からの刺激が自分を形作っている。じっとしてないものがあるから、じっとしているものを感じられる。だからきっとどこかにじっと変わらぬものがあるはずと思い込んで探してしまう。けれど外からの刺激の仕組みは、きっと「あるとき」と「ないとき」の高速な繰り返しがそこにあるだけだから、スマホの画面に手を伸ばして写真の中の自分を捕まえられないのはそういうことなんだろう。
私というのは点滅する光で生まれては消え、生まれては消えを繰り返しているだけの存在なのだろうね。今日もまたピコンピコンってカラータイマーが鳴っている。