愛の私刑
責任を取れ
そんなことをして失敗して大損害が起きたら、どう責任を取るんだ、というセリフを一度は聞いたことがあるだろう。あるいは、失敗したらどうするんだ、としたり顔で怒鳴る上司もそこかしこにたくさんいるだろう。こういう人とは距離を取ってつかず離れずでやり過ごした方が良い。とは言え、そんななにかあったらどうするんだ系の人はおそらくは数え切れないほどいる。だから、否が応でも接触は避けられないからうまくやっていく必要はある。つかず離れずといきたいところだけれども、意外に近しい両親や親戚や親友がほとんどそういうタイプかもしれない。よくあるパターンは「あなたのためを思って」と愛情が強いがあまりに、何をするにもリスクがあると言ってくるようなパターンだ。逆に言えば何もしない方が安全だと思っているようだけれども、それならそもそも生まれてこないで、もともといない方がリスクゼロってことになってしまうんだけれども、ま、これは言い過ぎかな。
悪人ばかり
気がついたら周りの人に対して素直に心を開くこともできなくなっている。それは、あまりに悪い人や嫌な人が増えたからだと思い込んでいる。嫌な奴やバカが多くて最近疲れるのよね、なんてぼやいているけれどもその正体はあなた自身がそうなっているから、やたら目にするようになっているだけなんだよ。最近電車に乗れば、やたらオヤジ臭がしてコロナ禍でマスクするようになってニオイに鈍感になっているとか嘆いている人がいたけれども、そのニオイのもとはあなただよ、と流石には言えなかった。ま、そういう人にはそういうときも、そうでないときもあるから、まるで浜辺に打ち寄せる波のようなものですよとだけ伝えるしかないね。実はすべてあなたという海の中で起きている現象なんだと言いたいけれども、そこはいずれ気がついてくれるという伏線を込めて精一杯のメタファーなわけだ。
ノーリスク
結局は自己責任論が強すぎて、なにかあったら責任とらなければならないという強迫観念からがんじがらめに相互監視社会になってしまっている。特にこの国では村社会文化が土着の風土としてベースがまだまだ残っているから、地域の監視の目がいまだに強い傾向にあるね。皆と同じことが一番重要であり、表向きはカッコつけて個性の時代だとか言う反面、本音は協調性のないやつと一緒にいたくないという集団心理が強く残っている。だから面倒だと思いつつも、和を乱さないように好きなことも控える生活を、周りの評価を自然と一番に気にしながら続けている。そのストレスが魔女狩りを代表とする集団リンチにつながることは、もう随分も前から歴史が証明している。屋外ではマスクを外せと言いつつも、混雑するときはまだマスクをつけましょうと二枚舌がまかり通るのが、村社会、相互監視社会の特徴でもある。もちろん行き過ぎると日本赤軍での総括という私刑に至ることは留意しておいた方がいい。