ほどほどがいい
あなたしかないこと
人は社会的動物だと言う。だからその中で感じるさまざまな出来事はすべて「人間関係」で決まる。そのことをすっかり忘れてしまうと、すべてが「人間関係」というフィルターを通したものとなって、おそらくはそれほど幸せや楽しみを感じることが少なくなってしまうんじゃないかな。そうして自らで「悩み事」を生み出して、自らそれを大きく育んでいる。他の動物が人間の言葉がわかるのならば、なんて滑稽で理解不能な毎日を過ごしているんだと嘲笑されるだろう。明日は明日の風が吹くわけで、今幸せに目一杯生きることしか所詮できっこない。なのにまだ誰にもわからない明日を心配して今日一日を棒に振るわけだ。そんな毎日なものだから、幸せはどこにあるのとテレビやネットから情報を探そうとするし、身に降りかかる損得ばかり気にして一瞬たりとも気が抜けない状況に自ら飛び込んでいる。そして溺れそうになって誰か助けてーと叫んでいるわけだ。
不幸増幅装置
そう、あなたはどこにもない不幸を捏造して、それを大きく育むことに命を削っているわけだ。お金が足りない、お金を稼がないといけない、でも仕事がつまらない、嫌な仕事でもやらないとお金がなくなる、いつも我慢してストレスが蓄積する毎日、毎日生きることすら辛い、給料日はご褒美の日、ちょっと贅沢してお金使う、だからまたお金が足りない。この循環を社会人と呼ばれた頃から皆が目をつぶってやり続けているね。あなただけではなく、皆がそうやっているんだと言い聞かせてね。ところが世の中にはその苦しみのサイクルから離れて、悠々自適に暮らしている不届き者がいる。いわゆる成功者とか富裕層と呼ばれる「勝ち組」とか言う連中だ。そんな彼らを疎ましく、羨ましく、妬ましく見ているあなたがそこにいる。ところがお金の多寡で人を色眼鏡で見ているから、さらに不幸を自ら増幅する羽目になるわけだ。
不幸とか悩みとか
自然界の生命の動きの中で、不幸とか悩みなんて存在しない。人間の動物的な生きるという意味においても不幸や悩みなんて存在しない。それがあるのは、人の精神世界だけにある。他の動物の精神世界を覗き込むことができないから、それが唯一無二の世界だと思っているね。そして少し思い上がってしまって、人だからこそ、精神という高級な世界が広がっているんだと勘違いしている。もちろん何が高級か低級かもあなたの「精神世界」が決めているわけだから、まぁ、好き放題で自己中に定義されているに違いないね。だからそもそも幸せになろうとか、幸せであるとかないとかなんていう悩みは、ママゴトと同じ架空の物語でしかない。その人間関係において辛いことは実際に辛いだろう。でもそれに絶対的な意味はどこまで探してもない。最後にあるのは、そこにあなたがいるということだけだね。だからいつも言うようにエッセンスとして楽しむためのものであって、それが暴走して辛すぎるならすぐに逃げるべきなんだ。ピリ辛の麻婆豆腐は美味しいけれど、激辛すぎるのは、すぐさま辛いのが得意な人にあげるか、さもなければゴミ箱行きにしよう。ちゃんと分別してね。