種を蒔く人

日々

大地の恵み

春にタネをまいたそれらが秋には収穫できる。毎年のことのようで、その仕組みは実はよくわかっていない。光合成をして栄養分を蓄えて実がなると教わったところで、ほとんど何もしていないのにたわわに実る。もちろん、うまくいくときとそうでないときはあるけれども、たいていタネをまいておけば、芽が出てたいてい実がなる。たぶん、多少の世話もあっただろうけれども、それはごくわずかだ。そして毎年同じものは一つとない。色形ともに見事に違っている。もはや芸術作品と言っても差し支えないだろう。そして古来の習慣としては、収穫に対する感謝の儀式があるね。おそらく不思議な力で出現した作物に対して、大自然への驚異と感謝の表れだろう。土から生まれ、土へ還るとはこういうことかと合点がいくわけだ。

この世の法則

当たり前のように思って見ているけれども、それらはどうしてそうなっているのか、なぜあなたの目の前にそれがあるのか、改めて考えてみると謎だらけだ。稲や麦を美味しく食べて生活している。けれどもなぜあなたの食卓にそれらがいつもきちんとあるのか。魚や貝を海や川から獲って食べて暮らしてきたけれども、なぜそれらが用意されているのか。そもそもそこにどんな理由があって人々は命をつないできたのか。そして現代では、狩猟はぐんと少なくなって、ほとんどが家畜や養殖でそれらを食べるために育てているし、農業もIT化が進み大規模でもコントロールされたものになっている。ところが、それらに一番必要なきれいな水が枯渇しつつあるね。汚れたり、地下水がなくなってきたりと、永遠に続くものでもないらしい。

あなたの成分

自然を大切に、なんて最近は改めて喧伝してそれを商売にしている。すなわち、本来の自然を取り返すつもりはもともとないみたい。そんなことよりも、それで一儲けを企んでいる人の思惑がそう言わせている。誰も反論しにくいテーマを掲げて、そのためにはどうやら莫大な資金が必要だという文脈になる。資金を得るために自然を搾取してきたのに、その自然を元通りにするためにさらに資金が必要だなんて、マッチポンプもいいところだ。なのに自然というと、おおよその人はおとなしくなる。それは大地の恵みを収穫したときの、なんとも言えない不思議な感謝の気持ちを利用しているからだ。なぜならあなた自身が宇宙を含めて大自然を閉じ込めてできているからね。自然とか環境とかなんだか社会問題として小難しく演出しているけれども、あなたそのものが大自然であり環境なんだ。ということは、あなたを大切にすることが自然や環境を大切にするということ。邪な利益を追求する姿は自然な姿からは大きくハズレていることがわかるね。