人生の苦味

日々

疑心暗鬼

なんでもかんでも疑ってかかるのは、それほど悪いわけではない。けれども、そうやって予防線を張りすぎて生きていると、真心に気づきにくくなる。そこには一切の邪心がないのにも関わらず、それが無垢なものであればあるほどあなたは疑ってしまう癖がついているね。これはきっと毒に違いないと思って開けてみたら美味しそうな饅頭だった、みたいなことをずっと繰り返している。それでもあなたはそれが饅頭のフリをしたなにか別のものにしか見えなくなってしまっているから、一口も食べることなく処分してきたね。そこには素直に受け入れてそれが仮に毒であったとしても、それはそれで楽しいのであればそれでいい、という覚悟がどこにもないね。仮に毒であったとしても、弱い毒でお腹壊す程度ですむかもしれないというのに。

自己防衛

そうまでして何を守っているのだろう。あなたはあなたが最高に大切だと思い込み過ぎている。もちろんそれこそ必死になって自身を守るという本能はそれ自体誰にでもあるものだ。だからこそ、ある程度それが本物か毒なのかを見抜く力を持っているね。それがすべて検閲対象になって、原則他人から貰うものに関しては信用できないものとして処理される。だから、時々電車に乗っていても周りがみんなテロリストに見えて一人で緊急事態のように恐怖に震えなければならないね。騙されても良いし、それでどうにかなってもいい。それがそうであればね。素直に受け入れることが実は本当のサバイバル力だったりもする。差し出された食べ物に疑いを持ってしまうと、何も食べられなくて死んでしまうだろうからね。

苦渋の決断

そのせいであなたは必要以上にいつも緊張を強いられている。何かあったらどうするんだ、と常に身構えているからね。もちろん、それが本物か偽物かを見抜く力は磨いていかないと生き残れないのは事実だろう。だから疑ってばかりではなくて、実際に信じるという行為を重ねていかないとその真贋を磨くことができない。本物を知っているから偽物を見分けることができるわけで、どっちもよくわからないまま、わからないから選択しない、なんていう消極的な防御法ではいつまで経ってもその目は養うことができない。ということは、痛い思いをしたり選択を誤ったりすること自体を避けるわけにはいかないね。最悪な事態だけはなんとか巧みに避けて、小さな失敗はミスをどんどんやったほうが、結局は生き残る力を手にすることができるわけで、そんな人生ゲームの中にあなたはいるわけだよ。