漆黒に輝く

日々

人間

生物学が分類する動物として、あなたはヒトとして分類されるけれども、社会一般では人間と呼ぶ。それは社会的な存在としての定義だね。もしあなたがこの世で一人ぼっちならこの世がすべて無に帰する。誰か他の人がいるからこそ世界は初めて成立する。当たり前のこの事実は時としてとても有意義になる。料理が得意でいつも美味しいと食べてくれる。心配りが得意でいつもあなたと一緒にいると癒やされると言われる。家事が好きでいつも家の中がピカピカでとっても気持ちいいと喜ばれる。どれもこれもあなたが一人ぼっちであれば、それらは全く成立しないね。ということは、あなたは誰かがいるからあなたになれるし、他の誰かはあなたがあなたでいられるために存在していることになる。その関係性をなくしてあなたは存在できないわけだ。

悩み

一方で他の人がいるからこそ、悩みも苦しみも生まれてしまう弊害も同時に存在する。あなたはあなたなりに頑張っているにも関わらず、他の誰もがあなたのその頑張りを受け止めることができないことがある。あなたが良かれと思ってやったことが、不運にも裏目に出てしまうことだってある。誰かがいるせいで、その誰かと比べられてとっても惨めな思いをすることもあるだろう。それらは逆にあなたが一人ぼっちなら起こりようがないことだらけだ。だから、悩みは幸せになるための必要条件でもあり、悩みを消し去ることはなにもかも失ってしまうことになる。だから多少の悩みがあったほうがいいね。ときに煩わしく感じることもあるけれども、それと引き換えに充実した毎日を送るためには必須なことでもあるわけだからね。

存在価値

あなたが何のためにいるかということ、他の人に良いことをするためだと言える。役に立つとかありがたく思われるとかそういう側面でもあるし、逆に残念ながら劣っていたり迷惑をかけてしまうこともある。光が当たれば日向と影ができてしまうように、それらは合わせ鏡でもあるね。多くの場合は影を消そうと必死になるけれでも、それがうまくいくとすれば光を消してしまうことになってしまう。影を消そうとして光源をなくしてしまうとすべてが真っ暗闇の世界にしかならない。だから影は悪いものではなくむしろ光があたっているからこその証拠でもあるね。二元論的にネガティブな面だけを見てしまうと本質を見失ってしまう。あなたに悪魔な部分が存在するのも、それと同時に天使の部分が確実に存在するからなんだ。だから影があることを誇りに思いつつ、あなたの日向である誰かのためにできることを探して生きていこうよ。