道は星に聞け

日々

プランB

いつの間にか当たり前というかとても狭い世界での常識にとらわれてしまって、ムダな苦しみを抱えていることがあるね。将来が不安ですと言いながら、不安を煽るニュースばかり見ていたり、あの人とは意見が合わないと思いつつ、あの人の言動をつぶさに観察していたり、とにかく苦しいならば不要なことをやめるだけでいいね。そもそも必要もないことばかりで周りを埋め尽くして、もうこの世は世紀末です、なんてつぶやいている暇があったら、そのもとを遮断するほうがいい。なぜかそれに気がつかないのは、便利さという毒薬に染まって、みんなやっているからとそこで思考停止状態だからだ。けれどもあなたにとってはとても有害で、簡単に言えばあなたの口には合わずとても不味いのに、みんなが食べているから鼻をつまんで必死に飲み込もうともがいているわけだ。なんだか滑稽な姿だとも思わないのが不思議だね。

一本道

A地点からB地点までの行き方というか道順は、一本道の場合は選択肢はないと思っている。でもそれはすでにある道を通るという前提条件を外せば無限の行き方がそこに広がるね。でも、地図に載っている道しか通ってはいけないという制限を自らに課して、それ以外はすべて消し去っている。しかもそれをやっているのはあなた自身であって、必ずしも他の誰かが悪巧みでそうしているわけではない。道があるのはみんなが通るからできているのはそのとおりだ。だからみんなが通る道をあなたも辿るのはおかしなことではない。けれども、その道があなたにとって快適ではないことは十分に有り得ることだ。だからあなたが開拓者として新たな道を切り開いてもいいね。テレビを見ていて苦しくなるなら、とりあえず電源をOFFにすればいいだけだ。なのにそんなシンプルなことすらすら気がつかないとなると、ちょっと脳を休ませすぎているかもしれないね。

固定観念

そうやってそれ以外の選択肢を探す能力さえ失ってしまうと、それに従わない存在に対して怒りを感じて消し去ろうとする。それが今SNSであぶり出されている状態だね。あなたがいいと思っていること以外を許容することができないのは、あなたが正しいと信じて疑わないからだ。先のみんなが苦しみながらも同じ道を通っているのにも関わらず、それ以外の行動をすることを排除したくて仕方がない衝動に駆られてしまう。その裏側にはみんな苦しいのにその人だけ楽するのは許せないという単なる子供のようなワガママでしかない。それを正当化するためにみんなという集団の後ろ盾を使って正義のフリをしているわけだ。考えてみればあなたの知らない人が何をしたところであなたは当事者でもないので何ら迷惑でもない。仮に知人でもあなたの選択肢を邪魔するわけではない。にもかかわらず誹謗中傷するとすればそれはあなたのほうが悪魔に洗脳されているに違いないよ。これほんと。