明るい日
明日
明るい日と書いて明日と呼ぶのよ、なんておどけていったりするけれども、楽しい予定があれば今を頑張れると思って先々の予定を全部埋めてしまう人がいる。もちろん、好きな映画を予約したり、行ってみたかったレストランを押さえたり、初体験のミュージカルを観劇するチケットを予約するのはワクワクする。その日が来るのを今か今かと待ちわびて毎日があっという間に過ぎ去って行くのはどちらかというとポジティブで良いことだと言われている。だからあなたもそれに負けじとなんかしなきゃと思い予定を埋めるために色々楽しそうなことを探している。でもそれは順番が逆だね。さらに弊害は、それらが見つからなかったり、大人気過ぎて何度もトライしても予約が一向に取れないと途端に不幸になってしまうわけだ。そんなことに頼らなくとも明日は楽しいに決まっているんだと、どうしても思えない原因は一体なんだろう。
不確実性
楽しみにしていた旅行が、不意な身内の不幸でキャンセルせざるを得ない。そのときはとても不幸だね。でも仕方がないと諦める。ところがその理由の重大さによっては、いつまでも恨めしく思うこともあるんじゃないかな。一緒に行く友達の単なるワガママでキャンセルになってすべての楽しみが奪われたとき、その友人はもはや恨めしい人に変わってしまったりするね。もう口も聞きたくないとかこじれると最悪だ。そんなだから、誰かと一緒に行くのを諦めたりする。一人旅の旅行の計画ならあなた以外に邪魔するものは天候とか不慮の事故ぐらいになるからね。でもそうやって今ではなくなにか企んだ未来にしか楽しみがないと思っているのはどうしてだろう。今この瞬間、旅行の計画をたてて、あれこれと思いを馳せているこの瞬間がすでに幸せなはずなのにね。
幻の達成感
計画通りにことが進んだとしても、あなたは本当の満足をそこから得ることはないね。もちろん区切りとしての達成感はあるとしても、これがうまく行ったのなら次はもっとうまくいくんではないかと、すでに次の計画が頭に浮かんでいたりする。要するにその予定がうまく行っても、キャンセルされてもあなたがそこから考えることは似たようなものだということになる。しかも、いつも今はつまらなくて、その旅行が楽しみであり、待ちに待ったその日が来たところですでに次の計画を妄想しているわけだ。こんなことではいつまでたってもきりがないね。もちろんそれが終わるのが人生の終わりだとも言える。だからそうやって過ごしていくしかないとは言え、いつも今は日常、先々のイベントを楽しみにして生きるのは人生の楽しみが半減していることに気がつくかな。今も楽しいし、計画された楽しみも楽しいのは今、その日がきてうまくいかなくても十分楽しいわけだ。そう、別に未来に楽しみがあるわけではなく常に今にあることがわかれば、明るい日と書いて明日と呼ばなくても良いわけだよ。