すべてムダ

日々

手放す

一度は気に入って買ってみたものの、使ってみるとしっくりこないものは残念ながら存在する。もちろんそれはあなたにたまたま合わなかったわけで、誰かにとっては愛用品になるだろう。だからものが悪いとかあなたが悪いとかという問題ではない。そういうときは綺麗サッパリ感謝しつつ捨てるか、今だと個人でやり取りできるマーケットがあるからそこに出品して新しい使い手を探してみることもできるね。そういう意味ではテクノロジーの進化で一見ムダが少なくなったように見える。ところがその一方で片っ端からあなたの愛用品となるべくアイテムを、お店をはしごして足が棒になるまで探し回らずとも今ではネットで買い漁ることもできる。だから、やっぱりプラスマイナスゼロかもしれない。

運命の出会い

そうやってあなたにとっての最適な運命の出会いとやらを期待できるように見せかけるテクノロジーが発達した。今までは狭い村社会やコミュニティーの中で選べばよかったのでそれほど迷いもなかったことが、今ではグローバルに見渡すことができる。そりゃ迷うなという方がどうかしているね。だから際限なくもっと良いもの、もっといい人、もっと素敵な出会いがあると信じて疑わない。夢が見られる分幸せな時間が増えるのならそれも悪くはないけれども、大抵は夢見たままゲームオーバーとなってしまうケースが多いみたい。もちろんそれを探す旅が人生ゲームだと確固たる信念があるならばそれで終わるのも一興だね。ベストはなくていつも妥協のベターで過ごすだけの内容となってしまうけれども。

勘違い

そこで上手に大いに勘違い、見当外れをわざと起こすのも名案だと思うよ。そんな客観的な位置から冷静に見るみたいな、演劇の舞台裏にいるだけでなく、それを知りつつ存分になりきって楽しむ方がきっと良い時間を増やすことができると思うよ。振り返ってみれば多くの場合はこんなふうになっているんじゃないかな。つまりそれは、わざわざあなたはいつも必要のない不安にかられて、必要のないことをしでかす。もともと必要のないことだから、やっぱり解消しようとして、あれこれと模索してようやく元通りになってほっとしている。あなたがいつもやっている行動をあなたの外から見る人がいたら、なんてムダの塊なんだと思うだろう。必要もないのに、あなたの周りにわざわざあなたが自ら落とし穴をたくさん掘って、それでいてあなたはそこに落ちるかもしれないとう恐怖にキリキリしながら進もうとしている。その結果落とし穴に落ちて痛い思いをしてから、せっかくあなたが掘った落とし穴をブツブツ言いながら埋めている。それがまさに人生の醍醐味ならば何も問題はないけれども、それに疲れるならばシンプルにそれをやめたらいいだけだね。