切れ端はどこ?
無意味
何事とも始まれば必ず終わりが来る。だからちょっと辛いことがあっても永遠ではないと思えるならば、少しは耐え忍ぶことができるね。一方で楽しくて幸せな時間も、同じように突然終りを迎える。もちろん知ってはいるんだけれども、なんとも儚い気持ちになる。神様は平等で良いことも悪いことも別になんともないこともすべては終りが来るようになっている。と同時にまた何か始まるわけだ。基本そんな切ない人生だからこそ、これには何か深遠な意味がそこにあるんだと思いたくなる。けれども意味を探しても探しても見つからないから途端に苦しくなってしまう。一つは意識の中で自己をことさら特別視してしまう人間ならではの苦しみだね。動物の気持ちはわからないのでなんとも言えないところはあるんだけれども、おそらくは他の身近な犬や猫はそんなに自我は持っていないだろうね。
無価値
あなたはあなたがとても愛おしいから、あなたはちょっと特別な存在であってほしいと思っている。いやおそらくは選ばれし何かだからこそ、日々の体験ができると信じたくなるわけだ。ところがそれが架空の世界でどこにもそんな実在する何かはないと言われるとパニックになってしまう。現実というあなたが感じているその刺激は、実は誰とも共有することもできずあなただけの脳内で主に映像やその他の知覚、古い仏教では心と心所として変換された何かであって、そこにいる他の人々も実はあなたが捏造した存在でしかない。それがあなたにとっては他のみんなも同じだと思いこんでいるけれども、その他のみんなもあなたが勝手にプログラムした虚像でしかないわけだから、誰もいないところであなたの幻想だけがぼんやりと映っているに過ぎない世界であることを否定できない。他と比べることで得られる唯一の概念が「価値」だ。だからその「価値」も実はでっち上げたなにかに過ぎないわけだ。
無意識
あなたがあなたとして認識している事自体が、実はパラドックスになっていてプログラムで言うところのバグであるわけだ。あなたがあなたとして認識している矛盾を突き抜けて現実は構築されている。だからこそ、おかしなことばかり人生に起きる感覚が生じるわけだ。あなたはどこにも存在しないにも関わらず、あなたを感じている。そうでないと何もかも認識できないからだね。逆に言えば楽しいことも辛いこともその矛盾によって生まれることを知りつつ、わざとそのバグを放置しているわけだ。もっと言えば楽しいことも辛いことも実はどこにもなくて、フラットで極めて安定しているなにもない世界しかない。それだとあなたがあなただと区別できる陰影がどこにもなくなってしまう。けれどもどうやらその世界があってこそのあなたという意識がそこに生まれるわけだね。