光の粒
夜景
ちょっと小高い丘の上から眼下に広がる町並みはときに幻想的な景色となって、あなたに得も知れない感動を生み出す。キラキラ輝く小さな光は、何気ない普段の暮らしを送る光であり、あるいはいつものように残業が続くオフィスの光かもしれない。信号は休むことなく車や人の流れをコントロールするために光り、車のヘッドライトは家路を急ぐ光跡として常に動き回っている。遠景だから遠すぎてよくわからない小さく見える光の粒を、どういうことかずっと飽きないで見ていることができる。不思議なもので、映画でも動画でも5分もじっと見ていられないのにも関わらずだ。単なる光のつぶつぶを眺めているという点では全く同じなのに、どうしてこうも差があるのだろうね。
星空
都会の街から見上げる星空はいつも隙間だらけだね。ちょっと郊外へ足を伸ばせば、敷き詰めらた星の数に圧倒されてしまう。そんなに隙間なく星があるなんて教科書ぐらいでしか見たことがないからね。さらに街灯も自動販売機もコンビニもない山里では、月明かりがびっくりするぐらい夜道をきちんと照らしてくれることにも驚く。太陽を月でもって反射する明かりがこんなにも強力なことを知らなかったからね。そこで知識と体験が出会うわけだ。なるほど、晴れた満月の日なんて夜にも関わらず山道をしっかりと照らしてくれるからこそ、そういう日では夜歩きも十分可能だってことが腑に落ちる。もっというと月がこれほど漆黒の世界の希望となっていたことに気づくわけだね。
眺望
かつての城主はそこから、庶民の住む町並みを眺めて何を思ったのだろう。立派な天守閣から見えるのは庶民の暮らしの灯火がほとんどだね。逆に庶民から見上げる立派なそれは、とても壮大で故郷を誇れるランドマークであっただろう。富士山の頂上からはもはや何もよく見えないけれども、富士山はかなり離れた場所でも四季折々の表情を変えて、無数の情景を見せてくれる。はてさて、あなたはどちらを見ていたいだろうか。どっちも得も知れない喜びがそこに含まれているね。だからこそ、いずれにせよ見ていて飽きない。そこにあなたは何を見ているのだろうね。