すべて大丈夫だよ
世界
あなたはすでにあるこの世界に生まれたきたと思っている。あなたには生まれた瞬間の記憶などどこにもないけれども、親から誕生日を教えられ、その日の様子を母から聞いたね。陣痛が始まってから長い間痛い思いをしただとか、二人目だったからか、安産ですぐに生まれてきたとか、そんなようなことだろう。しかしながらあなたはそれを告げられたところで、そうなんだと思うしかない。そしてそこから年を越すたびに年齢を数えて今はいくつだとかと思っている。不思議なことにある程度の年齢になるとどんどん感じ方が変わってきたはずだ。今年ももうすぐ終わるこの時期は、なんて1年はあっという間に過ぎるのかと、改めて驚いたりしているちょうどそういう時期だろう。はてさてあなたにとってはどんな1年だっただろうか。
歴史
歴史好きのあなたは、それらの文献を読んでいるときに世が世であればあなたはどんな人生だっただろうかと思いを馳せたりするのが楽しみの一つだろう。あなたにとってその歴史を紐解く楽しみも、あなたの友人にとってはあまり興味がないみたい。あなただって、膨大な歴史書の全てに目を通しているわけではなく、したがってまた新たな歴史との出会いでまた一つ未知だった世界がパッと開く。そしてあなたの視座が大きく移動する。しかし不思議なのは友人はそれがなくても楽しそうだし、あなたも知るまでは特に不満だったわけでもない。要するに知っていても知らなくてもあなたの世界はあなたの目の前にずっとある。そして太古の記録を知らずしても、今は今でいつもそこにあるわけだ。
全てがそこにある
まだ見ぬ古文書があなたの通う図書館に膨大な数で並んでいる。おそらくは全てを読むことはできない量だね。仮にその全てを知ったところであなたの今は今のままだ。何か特別な出来事が起こるわけでもない。あなたはその当時の世界を紐解くことは楽しいけれども、今愛しい人もそばにいる。苦難の歴史に触れてとても大変だったと知るもあなただってそれなりに苦労はつきものだね。生まれる時代を間違えたと言ったとしても、あなたの世界は今そこにある。これは何を意味しているのだろう。おそらくはすべてをひっくるめて今のあなたがそこにいることだろう。ということは小さなことでくよくよしたり、何が得で何が損だとか悩んだり、このままでいいのかと自問自答したりを時空を超えてずっと続けていることになる。歴史書はその片鱗にふれるきっかけにすぎない。そしてその中の過去の偉人たちはあなたにそのままで大丈夫だと語りかけているわけだ。