あなたが価値を決めている

日々

引き算

誰かと比べてずっと欲しがってばっかりいると、どんどんいらないものが増えていくね。だからどこかで整理するのがいいとよく言われる。今では断捨離とかでミニマリストとか言って必要なものしか持たない暮らしなんかが注目されていたりする。ここで難しいのは必要なものと欲しいものはいつもイコールではないということだ。最低限を大きく下回ってしまうと結局は不便な生活を強いられることがミニマリストの生き様のようになってしまって、途端にそこだけに注目してしまうと楽しく暮らしていくことができなくなる。かと言って欲望のままに必要だと勘違いしてどんどんものに支配されてしまうと、それはそれできりがなくなってしまう。生き抜くための基本能力がどうしてそこまで捻じ曲がってしまうのだろう。

便利さ

これがあれば便利な暮らしになると間違いなく判断したものが、いざ手にしてみると思ったふうにはならない。そのずれがいろんな苦しみを生み出してしまう。なぜそうなってしまうのかを一度考えてみよう。その一因としては、最低限のものというこだわりも実は豊かさの中でしか成立しないからだね。だから、ミニマリストも結局は豊かな社会のインフラがある前提でしか成り立たないわけで、逆にそれも、ものがあふれる社会の申し子なわけだ。皆が困窮している社会では、ミニマリストもなにも、ほとんどがそれそのものであるという矛盾がそこにある。結局は必要なものと欲しいもののずれはそこにある。だから、競い合って比べあって社会の潮流に追いつこうとして、結局はあなたにはそれは今必要ではなかったということを一つ一つ確かめるしかなくなっているね。

極論

だからといって今更江戸時代の暮らしに戻ることはできないとよく極論を言われることがある。もちろん、一人だけそうなれと言われてもなかなか実現するほうがかえってコストがかかるわけだからね。化石燃料を使わず、プラスチックをセーブしたところで、不便になるだけで地球規模で延命措置になるわけがない。となるとエコとかリサイクルなんかもプロパガンダや誰かが儲かる仕組みとして機能しているだけということがわかる。もったいないというこの国の文化を持ち上げてみたところで、そうなると仕事や暮らしが成り立たなくなる人が生まれてしまうわけだ。逆にあなたの心の琴線にふれるような食器やアクセサリーがあれば手にしたほうが幸せになれる。ものとしての価値はあなたが生み出すものであって、本来何か他に基準があるものではない。ということは、本当に必要なものはあなたが生み出していることになる。誰かが良いと言っているものはなんの価値もないんだよ。しかし最近では誰かわからない人の意見を鵜呑みにして、こぞってものを買う文化がこうも蔓延るなんて少し前では考えもつかなかったけれどもね。