身も蓋もない
欲求
実はいつもあなたは十分に満たされている。でもあなたはそれを感じ取ることをやめて、ここにはない何かを求める癖がついている。もちろん求めるという気持ちは満たされている余裕から生まれるものであって、本当に何もなければ究極的にはそんな選択肢が生まれるべくもない。生きるか死ぬかの瀬戸際であれがいいとかこれがいいとか言ってられないのと同じだね。だから選ぶことができるとか、迷えることができるとか、思い通りにならないとかは全て満たされている前提での話だね。あれが欲しいとかこれも欲しいとか、でももっといいものがあるんじゃないかとか言ってられるうちが花なんだよ。そしてそういった妄想は楽しむためにそこに生まれているわけで、実際、あれこれと欲しいものを考えているときが一番至福のときだったりする。
旧型
愛用していたものも、そろそろ古くなってきた。それで新しいものが欲しくなってくる。もちろん壊れてしまって使えなくなったときが替え時なんだけれども、なぜか同じものを選ぼうとはせずそれ以上の機能や性能を求めてしまうね。もちろん、技術は日進月歩でどんどん高性能で多機能になっていくから、もっと快適になるんじゃないかと淡い期待を持つのはそれほどおかしなことではない。けれども、実際良く考えてみれば一分一秒を惜しむほどのことをしていない限りにおいては、今のあなたに十分なものもたくさんあるはずだ。けれどもこの世界では旧型と言われるものに憧れることはマニアでない限りにおいては、一種のタブーとなっている。もちろん、無理して旧型を探し回るなんていうのは特殊な世界で、今手にすることができるそれらから選ぶしかないのが現代社会だね。で、実際使い比べてみて生活が変わるほどのものはあまりないというのが正直な感想となる。
消費社会
新型が良いものとか憧れるそもそもの原因は、そういうふうに社会に刷り込まれてきたからだね。古いものでも良いものはたくさんあるけれども、それらはコストの面で作り続けることが難しい構造になっている。今はお気に入りの洋服でさえ、クリーニング代と新品を買うのを比べると新品を買い直すほうがいい時代となっている。そうやってあなたが手にするものがほとんど作りっぱなしで、ずっと使い続けることを想定していない。そういう意味では二度と手に入らないそれらとの出会いが一番の財産とも言える。すべてが刹那で動いているこの時代だからかえって執着するのもはばかられてしまう。上手に生きるためには、こだわりなんかは持たないほうがいいかもしれない。社会の流れに応じてどんどんアップデートする生き方にできるといくぶん軽やかに生きられるかもしれないね。