見えざる手

日々

特別なこと

そのつまらないと嘆く日常も、びっくりするような偶然も、大きな寂しさも、どうしようもない悲しみもすべてあなたのために特別にあつらえたものばかりだ。あなたはそんなふうに注文した覚えはもちろんない。それは当然だね。あなたの「思い」なんていうものは実はこの世のどこを探しても見つからないからだ。もっというとあなたがあなただと思っているそれは存在しない。それが証拠にあなたはずっとあなただとなんとなく思っているけれども、いざきちんと存在の証明をしようとしてもどうにもこうにも不確かな証拠だらけになってしまう。もちろんその逆も大変で、存在しないということを証明するのは有名な「悪魔の証明」と呼ばれるやつだね。ということはあなたは存在するとしても不確かであり、存在しないということを明確にするのもほぼ不可能ということになる。実在と思われるあなたがそれだから、あなたの「思い」なんていうのはあなたの中でしかないものを存在すると説明しようとしてもほとんど不可能だということだ。

愛おしき日々

それに少し気がつくと、目の前の世界はまるごとあなたのものであると思っていいことに気がつく。それが勘違いであったとしてもまるごとあなたのためにすべてがそこにあると捉え直すことで、いつもの風景が一変するね。良いことも悪いことも実はなくて、単にそこでそうなっているだけのこと。それをあなたが判定委員としてこれは良い、これは悪いとレッテルを貼っているだけのことだ。となると判定基準が変更されたなら、良いことも悪いこともガラガラポンされて、すべてはリセットされる。そうやってあなたが変わることで実は周りの全てが連動して変わることに気がつくだろう。そう、憎いあいつは実はやさしいあいつになり、どうでもいい人が急にかけがえのない人に変わる。それは相手にはたらきかけて変えたわけではなく、あなたが変わったからすべてが一瞬で変わったわけだね。

そのまんま

だからといって高尚な日々にするために、自己改革に励みなさいと言っているわけではない。あるいはもっと人格者になり包容力を身に着けなさいという意味でもない。ましてやそのために修行して出家しないといけないわけでもないね。ものの見方のバリエーションを少し増やしてみるということだけで十分だ。もちろんそう言われても、いけ好かないやつはそのままだろうし、嫌いなことはたくさんあるだろう。それを無理やり飲み込まなければならないわけではない。ただあなたが嫌いなことを、大好きな人もいることを知っているだけでいい。逆にあなたが好むことを、忌み嫌う人もいることも同じように知っておこう。そうするとね、いろんなことを眺めているうちにすべてがちょうどよく混じり合っていることに気づくだろう。ああ、なるほど、もはやあなたが、なんて小さなスケールで動いているわけではなく、もっと大きなスケールでこの世は動いているわけだ。その中であなたが見ている一部分の世界は、あなたにあつらえたようにぴったりのそれらを見せてくれているわけだ。