来年より今年
言行不一致
夢を持って自らの人生を良きものにするための努力を人は貴重でありがたいものであると思う癖がある。ところが、来年こそはいい年になりますように、と神様にお願いし続けている。それで良き年になったことはないのにも関わらずに無反省で毎年同じことを続けている。同じことを同じようにすることが文化であり風土だと固く信じているくせに、一方では固定観念を打ち壊し、従来の習慣をブレイクスルーが重要だとか言っているわけだね。毎年のお願いを真面目に神様が聞いていれば、おそらくはすでに呆れているに違いない。人の意見は揚げ足を取って矛盾点をいくらでも見つけることができる能力に長けているくせに、自らがやっていることにはまったくもって無頓着でいられる。だから混雑する行列に並びつつ、その時間がもったいないとかでついでに仕事の効率化と無駄を省くための方策を考え続けられるわけだ。
未来
この時期になると生まれて自我が芽生えて以降、ずっと同じ言葉で挨拶をしている。そうして未来は自らの力で切り開くんだけれども、それだけではちょっと心もとないので神様の支援をお願いすることに決まっているわけだ。そうやって他力本願である真髄を薄々わかっているけれども、来年こそは本気出すとホンキで思っているね。ところが来年は思わぬ出来事が、あなたの意思とは全く関係なく起こり続けるのは間違いない。それはこれまでのことを振り返ると秒でわかるはずだね。夢の希望もなく身も蓋もないことを言うのは粋ではないと言われるかもしれない。けれども、自らの力で勝ち取ったと思い込んでいるそれらは、数多な偶然が積み重なったものでしかないことぐらい、とやかく言われなくてもすでに気がついているはずだね。
区切り
おそらくはどうなるかなんて誰にもわからない未来に思いを馳せるよりも、今年の振り返りによって今年を良い年にすることだけがあなたに許されていることだ。すなわち、すでに起こった1年をどう判定するかということしかあなたの力でどうにかできることはない。それなりに良かったと思えるのか、それとも最悪だったと評価するのか、それは今すぐにでもあなたが決めることができる。もちろん、一旦そう思っていたことを覆すことさえいつでもできるね。この時期の風習に合わせることがあなたにとって良きことであるとすれば、それが一番重要なことだね。今のその判定が結局はあなたのまだ見ぬ未来をも決定することになる。今までのことをなかったことにしても決して未来は変えられないわけだ。そこをしっかりと踏まえることができた瞬間に、あなたにとっての来年が今決定するわけだからね。