良いに決まっている
願い
願いは人を愚かにすることが多い。だから願うときはそれが本当にあなたのものなのかどうかをチェックした方がいいね。あなたのその願いはほとんどがあなたの奥底から生まれたものではない。そう言われるとちょっとショックかもしれないけれどもね。あなたはあなたがそこにいると思いつつも、実は違う誰かに恋い焦がれて仕方ない。だからあなたがあなたとして生きることにあまり関心はなく、むしろ違う誰かになりたいといつも思っている。例えば次こそは幸せになってみせるとか、今度こそはうまくやってみせるとか、その動機はほとんどが誰かがかっこよく見えているからだろう。そしてそれと同じようにできるればかっこいい誰かと同じになれると思っているね。家族が安全で健やかに過ごせること、あなたが立身出世して夢が叶うこと、思っていた人と巡り合って幸せになること、それらを冷静に実はどういうことかを一度でもいいから考えてみるといい。そのための犠牲が莫大であること、さらにそれが叶ったところで幸せになるのはあなただけだということに気がつくだろう。
残酷
利己的とか利他的とかいう議論以前に、あなたがいつも企んでいるすべてはあなたの心の中の「悪魔」がそうさせている。とにかく幸せになりたい、あなたの身近な人が含まれているにしても別にインタビューして決めたわけでもなく、きっとそうに違いないとあなたが決めているだけだね。多くの人の幸せを願う理屈をうまく利用しているに過ぎない。もちろん世界平和なんていう言葉に反論できる人はいないだろう。けれども世界平和を実現するためにどれほどの犠牲を払わなければならないかはあなたの範疇ではないね。そのためにあなたは世界を牛耳るつもりもないし、その地位を目指すわけでもない。そうやって人はいつの間にか余計なことばかりをやらかす存在になってしまっているわけだ。世界が平和になるという祈りよりも、今度こそうまくいくようにという祈りよりも、そんなことなんてどうでもよく生きられるようにと自らで考えれば、誰かにどうのこうのなんて二の次になるはずだね。
良い年
とにかく明日は今日より良いに決まっているし、今度は以前よりうまくいくに決まっているわけだ。だからそんなことを願うということは、おそらくはその程度では物足りないあなたがそこにいるからだね。欲張ることで人は争いが生じ、軋轢が生まれる。それは歴史が証明しているようにね。欲張ることはどちらかというと肯定的な風潮だ。欲望があるから社会は発展するし、地位も名誉も獲得することができるとされている。最近の若者は欲が少ないと大人から揶揄されているようだけれども、ある意味それは人類が次のステージに進化したとも言えるね。モノや名声を得るための犠牲が今の世界の歪みそのものであることがバレてきたせいだ。そんなものをいくら鎧のように身にまとってみても、すべては無に帰することをようやくわかったとも言える。経済発展しなければ生きられない社会は一時的な狂気であって、それが継続できない反動が今の少子化として現れているに過ぎないね。とにかく心配しなくてもどんどん良くなっているに違いないからそんなに心配しないでいいと思うよ。