何もしないあなた
コンピュータ
どんどんコンピュータの世界に近づいている。良いか悪いかは別にして、暗黙のルールに従わないものは淘汰される時代になりつつあるね。突拍子もないことをするのはあなたにとってはわけのわからない人間だけで、そんな人間は遠ざける傾向が強くなっている。だからこそ、差別やヘイトに敏感になっている。大自然はもともとすべてが全く異なっていることが自然であり、そのため予測しようにもルールを決めることができない。だからルールに縛り付けようとする勢いがどんどん増しつつあるわけだ。同じような考えでないと不快に感じ、違っていることが認められない。それをかろうじて理性によって封じ込めようと各人が必死になっている。もはや自然体なんていう言葉は表面上の上っ面であって、本能的には社会の常識やルールに弾かれる側になってしまうことを多くの人はとても恐れている。
人工無能
コンピュータの世界に飲み込まれそうになっているのを、コンピュータを使いながら恐れている。今更コンピュータを使わないという選択肢はすでになくなっているからだね。それ故に毎日情報の洪水を浴びながら、実はそれらは本当に必要なのかと自問自答して苦しんでいる。どうにもこうにもいい情報よりも、誰かが何かルール違反をしでかしたということばかり目が行くようになり、マスメディアも視聴率のために聞くに堪えないニュースばかりを報じることになる。本来はそんなことは知らないでもよかったことばかりなんだけれども、それを聞かずにはあなたは平静を保てないからだね。あなたはすっかり情報にコントロールされていることに気がつく。気がついたところで、それを知らないまま生きる勇気もない。そうしないと、今度はどんどん取り残されていく恐怖と向かい合うことになってしまうからだ。
何もしない
だからこそ、ほんの一瞬でも何もしないし何も考えないことが重要だね。ほんの数日だけでもぼーっと過ごして、型どおりに過ごす行事が必要なわけだ。それはすでにオワコンになっていると感じつつも、そもそもオワコンという概念もそうした情報のコントロールの一部だ。だからこそあえて非効率な決まりきっていて、何ら進化することもない慣例に従う時間が必要なんだ。また正月が開けたらあなたはがむしゃらに動き回ることになる。そうして過ごす手前の今の静けさはとても貴重だね。嵐の前の静けさのような街を歩くことで、いつもの街が全く違う場所に思える。そのどうしようもない退屈で静かな時間があるから、感じられる何かがある。職業によっては今でもがむしゃらに動き回っているだろう。でも年に一度ぐらいは何もしない時間を持つことはとても大切だ。何もしないということを知ることで、何かをしているあなたを何もしていないあなたが見つめる視点を得るわけだからね。