年初

日々

信じる

年初はいつも、今年の抱負を考えたり、書き初めして目標を掲げたり、初詣に言って今年こそいい年になりますように、なんて言う特殊な時期でもある。今年は何を頑張るとか親が子どもに素朴に聞いたりする。それで子どもは子どもなりに気を遣って「勉強頑張る」なんて言ったりする。今度の春に学校にいく子は「友達たくさんできるように人の優しくする」なんて殊勝なことを言ったりして親であるあなたはほくそ笑んでいる。みんないい子でいい人であろうとする瞬間がこの年初でもあるね。ところが、それらは来年の終わりに答え合わせをすることになり、そしてそれがいまいちであることが確定していることは間違いないね。どうしてかというと、願いを考えているということは、今不足していたりできていないことを探していることに他ならないからだ。こんな自明のことすら忘れてるぐらいの特殊な時期が今ということになる。

感謝

それに気がつくと、願い事のすべては今にないことであり、今に満足しているならば普通に「ありがとう」という言葉が最初に出てくるはずだ。これまで何事もなく、家内安全でだれも大怪我も大病もせずに昨年は過ごせました。本当にありがとうございます、となるはずだね。つまり、願ったり抱負を語ったり目標設定をする前に、これまでのフィードバックを十分にする方がより効果的だということは、さんざん仕事ではわかっているはずだ。決意を新たにするときに、苦しい時の神頼みというのは無反省でご利益だけが欲しいという下世話な習慣でしかない。神聖な神社にわざわざ出向いて思うことが、銭、暇、健康に集約される文化を楽しむのならいいけれども、どこか邪な何かがあるのも自覚しているので、結局「叶いっこない」ことを心なく吐き出しているだけとなる。

アクション

格好をつけて気取っているあなたは格好悪いのは間違いない。そんなことをしている暇があるならば、アクションを起こせばいいだけの話だね。あなたが走れば風が吹く。風であなたは倒れそうになる。それを支えてくれる誰かが現れる。そうやってアクションが連鎖するときに何かが起こるわけだ。それが失敗すると格好が悪いと、格好をつけて知ったかぶりをしていても何も現れないどころか、何かが実現することはないね。そして今それができる体力が残っていること、多少の暇がとれそうなこと、そしてその費用も払えるぐらいにあるのならば、すでに叶っていると言っても良い。あとはあなたがそれをやるか、やらないか、それだけのこと。まずは動くことでしか何も得られないということに気づき、さらにその条件が揃っていることを教えてくれるのがこの時期でもあるね。