あなたの顔

日々

他人

この世にはあなたが中心にどかんといて、それ以外の他人がいると思いこんでいる。もちろんそれがあなたにとっての現実社会であり、他人はあなたの思い通りにならないがゆえに、いつも振り回されてなんとも思い通りにはいかないと嘆いている。あなたが良かれと思ってやってあげたことでも、あなたの世界にいる他人はその額面通りには受け止めてくれなくて切ない思いをすることが多いね。そういうときのこそ、あなたを見つめ直すチャンスだと思えばいい。あなたがそれをしている裏側には、いったいどんな思いがあるのかを振り返ることが大切だ。あなたは自らの犠牲を払ってわざわざしてあげていると思っているけれども、本当にピュアにそれだけだろうか。それとも多少の下心があって、できることならついでにあなたも得をするような計算なんて一切していないだろうか。それはあなたのみぞ知ることなんだけれどもね。

思わぬ結末

いつもそうやって、とかくこの世は住みにくいと思っているけれども、多くの結果が望み通りにならない原因もまた実は知らないふりをしているだけで本当はわかっているよね。小賢しく打算があるからこそ、ああ、やっぱりなという部分が必ず潜んでいる。だから思わぬ結果というのは実は思っていたとおりの結果とも言える。何かをするには動機があって、なんの動機もなく無意識にしたことについて思わぬ結果とはあまり言わないよね。まぁ、そんな中でも想像もしていなかったことが起こるわけだけれども、その原因を探っていけば直接的には本当になにもなかったとしても、深堀りしていけば基本的なあなたのその姿勢を自らで鏡に写してみれば、やっぱりなるべくしてなったと気づくことができるだろう。思わぬ結果とは要するに自覚する機会を失っていたことであって、あなたを別の視点で見ることさえできればなるほどそういうことかと合点がいくことがほとんどのはずだ。

窮地

だから、思わぬ結果だと感じたときがあなたを振り返る一番のチャンスであるとも言えるね。あなたはそんなつもりがないとしても、明らかに客観的に見ればあなたでさえ気づく明らかな邪さがあるわけだからね。だから窮地に立たされたときこそ、写し鏡であなたを見つめるといい。まったくもって他人だと思っている相手が悪いと全面的に思い込んでいたとしても、多くの場合は自身の姿を見ることができた瞬間に理由が判明するはずだ。あなたの顔を鏡で見たらなんてひどい顔なんだとあなた自身も驚くこと間違いない。もちろんそれだからといってあなたが全面的に不幸になる必要もないよ。ただ他の人があまりにひどいと思ったときに、ちょっとだけあなた自身の顔も鏡に映して確認してみるといいね。そうすると実はこの世はあなたしかいないことになんとなく気がつくだろうからね。