深刻にならない

日々

成功信者

あなたは失敗することより成功することが唯一の正しさだと思っている。ところが、成功と失敗は相反する結果として捉えてしまっているけれども、成功も失敗も結果ではなく過程にすぎないね。ある時点で失敗だと思ったことでも、それが成功に転じることだってあるし、逆に成功したと油断していたらとたんに失敗に転じることもある。もっと言えば微分のようにその瞬間の傾きを見て、上昇なのか停滞なのか下降なのかをみているに過ぎない。誰もが成功したいし、もっと正確に言えばずっと成功し続けたいと思っている。けれども実際はそんな一朝一夕に結果が決まるわけではなく、おそらくは生涯を終えるその瞬間までヒリヒリした緊張が続いてしまうわけだ。いや、もっとスケールを大きくすれば、人類史上歴史的にもそれがどうだったのかということを、あなたがこの世からいなくなってでさえ議論が続くかもしれないね。もちろん、あなたの意見抜きでね。

無意味

何が良いとか悪いとかを早急に決めないといけない世の中だから、そうは言っても先のいい知らせなのか悪い知らせなのかを見極めないと次の一手の判断を決められない。だからいつも緊迫しているわけだね。それほどの重責を一人で抱えるなんて狂気の沙汰に違いない。そこで提案したいのは、単なる出来事にそんな責任や意味をもたせるのを少しだけやめてみるといいね。ある意味無責任でいいということなんだけれども、そんないい加減なことはしてはならないとずっと脅されて生きてきたあなたにとっては、そんなことはできるわけがないと思いこんでいる。でも、どう判断したところですべての出来事をコントロールできると思う方が、じつはどうかしているね。もちろん悩みに悩んで最善を尽くすのは気持ちいいことだろう。でも、だからといってあなたの責任の範囲なんて宇宙全体でみれば誤差みたいなものだよ。さらにそんなゴマ粒の責任でさえ、どうにかできるはずもないね。

無知の知

あなたが万能であって揺るがない存在であると思いあがることをやめれば、自然と謙虚になれる。すべては運であり、めぐり合わせであって、タイミングであるだけだ。その瞬間に見れば大成功に見られて、羨む人も出てくるだろうし、ちやほやされてあなたのプライドという勘違いを追加することになる。ところが、それも100年後の答え合わせにはあなたはいない。もっと先では想像すらできない。人類の叡智も人類がまだ地球に存在し続けられたら残るかもしれない。けれども、人類という生物が何か違う種になっていたり、そもそも絶滅してしまえば人類の知なんていうのは宇宙から完全に消滅するだろう。あなたの今のプライドも苦しみも喜びもそんなものはどれほど探しても見つからない。そうだからと言って、自暴自棄になったりしても楽しくないはずだ。あなたの心に正直に、もっと今のその瞬間を楽しめばいいはずだよ。