幸せってなんだっけ?
研鑽
なんのために成長が必要なのか。社会において経済成長はそれが前提となる資本主義の世の中だから必須なのはある意味仕方がない。けれども、それに乗じて自己研鑽も必要だと思っている。そうして稼げることが善であり、消費だけする存在は邪魔になってしまっている。どうであれお互い様であって、常に消費し続ける人生だということは皆共通であるのにも関わらずだ。生産性があるとかないとかで人を判断するということは、その人がイケメンかそうでないかと同じぐらい表面的な判断に過ぎない。だからといって独裁的な共産主義が良いと言っているわけでもない。それらは欲望の姿を少しだけ変えただけで、結局はどちらも根本は同じだ。いずれにせよ、仮にあなたにとって成長することが良いことだとして、それは一体何のために必要なのかと問われたら答えがない人も少なくないね。
奪い合い
ようするに分かち合えばいいものを、必要以上に欲しがることでこの世は成り立っている。頑張ったり苦しんだりする人にはそれ相応の褒美が必要だと思っているからだね。ところが、どんなに財を蓄え、地位や名声を集めたところで、それは一時的なもの以上には化けないね。もちろんその親族だけがずっと豊かに暮らすことができるという特典はあるけれども、それを仮に分け合うことができるなら豊かさという部分では随分と解消することは明らかだ。しかしそれをよしとしないのは、そういう人たちがルールを作って支配し続けることになっているからだね。あなたが自己研鑽をサボっている人に苛立ちを感じるのは、逆に言えばあなたが生きるのに払っている犠牲があまりにも見過ごせないほど酷いものだからなんじゃないかな。
個人主義
自分だけが良ければそれで良しという世の中は、結局は豊かさの総量は増えない。豊かさを波及させるためには、それ以上の富を生み出すことでようやくそれ以外の人がおこぼれに預かるという形でやっぱり経済発展は必須だという。でもなんかおかしいと思っている人がいる。でも自己責任だということを受け入れざるを得ないのは、あなたの苦労の結果の幸せが、なんの苦労もしていない人にも波及するのが気に入らないからだ。それで反体制的な改革を仮にしたとしても、やっぱりあなたは納得がいく体制にはならないだろう。ただ生きるということにオプションをもたせすぎたことで、あなたの恨みがさらに増大するからだね。だからもう一度あなたに問いたいのは、その成長はなんのために必要なのだろう。そして、そうすることで多くの人が幸せになれることを許容できるだろうか。あなただけ幸せになろうとしたところで、本当にそれで満足できるだろうか。ま、そうなってもないことだからわからないのは無理もないけれどもね。