灯台下暗し

日々

初体験

この世に生まれて、これまでもいろんな体験をしてきたね。そのいずれも初めてのことも多かっただろう。いちいちそれを覚えているわけではないけれども何度も体験していることは、あなたにとってはすでに自動運転モードになっている。だから、特段困ることもないし無意識にやっている。改めて思い返さないと記憶すら曖昧なことがほとんどだろう。初めて公園に行ったとき、初めて学校に行ったとき、初めて旅行にでかけたとき、初めて会社に行ったときなど枚挙に暇がない。ところが、はっきりと思い出せることは、おそらくあなたにとって苦難とも言えるトラブルがあったり、とても印象的な何かがあったときだけだね。それ以外はもはや思い出そうにもない。例えば、あなたは初めてリンゴを食べたことを思い出せるだろうか。人によっては特別な体験になっているかもしれないし、そんなこと覚えているわけがないと思う人もいるだろう。

偏った思い出

ちょっと振り返ってみれば今のあなたの心理状況によって、強烈な初体験の記憶が楽しいものがほとんどの人もいれば、思い出すのも嫌になるぐらいの辛い思いでの人もいる。結局はどっちにしろそれを強く感じ取ったものであなたはできているわけだ。できれば楽しい思い出に満たされた人生を送りたいものだと強く願えば願うほど、弊害としてコントラストがはっきりとしてしまう。だから、どちらかというと楽しい思い出のインパクトよりも、惨めで辛く切ない思い出のそれがより強調されてしまう傾向にある。そんなあなたもそれ以外のさまざまな特別と言える体験のほとんどは、無意識でなんともない感想とともに記憶の彼方にしまわれている。そしてそれらは何かのきっかけがない限りにおいては一生思い出すこともないものとなっている。

幸不幸の総量

意識はいつも、そういうめったに起こらない強烈な印象をもった記憶だけに依拠してしまう。だから白黒はっきりとした鮮やかな記憶をベースとした、幸せか不幸かという心理状況を生み出してしまうね。それであなたはとても不幸だとかついてないとか思い込んでしまうね。たとえとても幸せなことがあったとしても、そのインパクト以上に不幸が上回ってしまうのは、幸せは不快でないがゆえにすぐにあなたの無意識下に溶け込んでしまうからだね。だから何気ない日常として変わってしまうように感じてしまうわけだ。だからこそ、辛いと思ったときはそのことにフォーカスするよりも、それ以外の大いなる日常を見つめ直すようにと多くの先人が伝えている。実はその不幸はほんのスパイスのような一部であって、気がついていない大きな幸せに包まれているのが事実だからだね。