結実
花
不断の努力が結実する前に、きれいな花が咲くと祝福されているように感じられる。成果が得られるのがまもなくだとわかるからだろう。だからといって確実にそうなるとは限らず、収穫するその時までどうなるかはわからない。思い起こせば随分前に種を撒き、水やりをして、周りの雑草などの成長の邪魔になるものを取り除いてきたわけだけれども、最後に獣に根こそぎ食べられてしまうときだってある。あるいは急な天候の変化で実が全滅することもある。それを生業にしている人はすでに自然なこととして受け入れているけれども、家庭菜園ぐらいしかしていなかったりするとどうにも悔しくて受け入れがたい思いでいっぱいになる。いくら嘆いても仕方がないので食べたいものの苗や種を植えて、今度こそと思ってその成長をじっと見守っている。あなたにできることはただひたすらに、次の種を仕込むことしかできないね。もちろん多少の工夫と対策を施して、防護ネットや、ときには虫がつくのを嫌って薬を散布したりもするだろう。それでもうまくいくかどうかはあなたのおかげというよりも、単なる運であることを何度も思い知ることになる。
感謝
そうやって自然に触れ合うことによって、感謝という本質を理解するようになる。あなたが今できる精一杯のことをするけれども、その結果がいつも同じになるとは限らないのが当たり前で世の常だ。それでもうまくいったりしたり、収穫して美味しくいただくことができるという奇跡に対する畏敬の念みたいなものを感じるようになると、自ずと謙虚にならざるを得ず、たまたまあなたに作物が与えられたということを素直に喜ぶようになる。そこを深く感じ取ることができれば、感謝とともに尊敬の気持ちも同時に生まれる。あなたは自らのちからで誰にも助けを乞うこともなく一人で生きてきたという思い込みが、単なる勘違いだったと知る。だからうまくいっても、うまくいかなくてもすべては偶然であって、たまたまそうなっているだけのことだ。だから、うまくやったのはあなたで、うまくやれなかったのはあいつだと卑下することができなくなるはずだね。
おたがいさま
そこまでわかれば、例えばたまたまうまくいったあなたは、困っている人を自然と助けるようになる。それは皆で生き残るための自然の摂理だね。どんな動物でも根こそぎ独り占めにようとするものは存在しない。もしかしたらそういう動物がいたかもしれないけれども、おそらくは大自然の摂理を破ったがゆえに淘汰されてしまったのかもしれない。勘の良いあなたは気づいたかもしれないけれども、この世でそれに近い動物がヒトだね。奪い合えば足りなくなり、与え合えば余るのが摂理なのに、それだと皆がサボってしまうとかという西洋思想的な「経済人」という仮説によって、現代では資本の奪い合いがベストではないけれども、ベターだというのが通説となっている。そしてそれを正当化するために、欲望加速システムにエネルギーを投下し続けるしか選択肢がない状態だね。それ自体を変えることは残念ながらあなたにはできない。けれどもそれを知った上で楽しく過ごす方法は、まだまだ見つかるかもしれないよ。