我を忘れる

日々

反省

どうしてこうなったとあなたはいつもその原因を探っている。そして犯人探しにやっきになって、ようやくその原因を特定できたかのように思い込む。そしてその反省を生かして次は同じ過ちを繰り返さないと未来に誓うわけだ。おそらくその繰り返しばかりをしていて、過去と未来を行ったり来たりしている日々だけになっているね。そうやって今に全くいないあなたは、いつも後悔と不安でいっぱいになってしまっている。もし仮に、あなたがあると思っている時間の流れが実は大いなる勘違いだとしたら、あなたはこの世のどこにもいないことになる。この話は絵空事ではなく、現代物理学の最先端でも、古来の仏教でも、時間という概念は勘違いだと指摘されている。シンプルなようで実はその勘違いの連鎖が迷路のようになって、この世には苦しか存在しなくなっている。さらに、時間の勘違いこそがカルマの法則を支えているわけだ。過去や未来という幻想にとらわれて、まったくそこから脱出できないのなら、もはや生死の枠組みを超えて何度も同じ現実が繰り返されるわけだね。

今ここ

なら、どうすればいいのか。その輪廻を超えるためには単純な話、過去と未来をいったりきたりしているのをやめたらいいわけだ。過去にとらわれず、まだ見ぬ未来も考えず、今に生きるということになる。言葉で表すとそうなるわけだけれども、具体的にはどうすればいいのか全く見当もつかない。ややもすれば、快楽主義的な勘違いをして、今さえよければ後先を考えないのがいいんだと誤って解釈したりする。でも、後先考えないと思っている時点でしっかり過去と未来の枠から一歩も外には出られていないことに気がつくかな。今を生み出すためにはそれ以外があるとしないと認識できないからね。だからそれはあってもいいわけだ。だから、今のあなたがそれらでできていることを知っていることから目をそらしてはいけないね。なんだか変な感じがするかもしれないけれども、それをまるごと受け入れた瞬間だけ過去や未来が消滅することは体験上すでに知っているはずだ。

夢中

おそらく多くの人にわかりやすい例としては、夢中になっている瞬間がまさにそれだね。時間を忘れて、好きなことに没頭している。気がついたら、ああ、もうこんな時間かと驚くことがあった。そのときあなたは、過去も未来も行ったり来たりすることすら忘れているし、なんならあなたはあなたであることすら忘れていたはずだ。もっと言えば我に返ってそれをしていたと気がつくだけで、そのままずっと続いていたら生きているとか死んでいるとかということすらもわからないままかもしれない。もちろんずっとそのままでいられるわけではない。けれどもそういう瞬間をできれば持ち続けることで、無に近くなる。幸せとか不幸とか、嫉妬したり妬んだりする感情とか、全部なくなるのはまさに我を忘れているからだね。あなたがあなたであることにこだわり続けると、不思議なことに苦悩がどんどん増えていくのなら、我を忘れることも悪くはないね。