頑固者

日々

意固地

どうしても譲れないことがある。そういうこだわりが己を支えていて、ときに強くしてくれる。その一方で、その固定観念から逃れられなくなってしまうと、それしかないと思い込んで視野狭窄に陥ってしまう。ならちゃらんぽらんに生きれば良いのかと投げやりになったところで、投げやりに振る舞うという根っこにはそのこだわりが根強く残っているから意味がないね。いったいどうすればいいのだと怒りに震えているあなたは、あなたそのものを手放すことが一番だ。けれどもそれをどうしていいかわからない。だからなんとかしようと思う気持ちは一秒たりとも消えることはない。そうして気がつけばずっと苦しいままになってしまう。おそらく酒なんかに頼って気を失うか、疲れ果てて眠ってしまうしかその苦しみから開放される方法はない。

余裕

逆に事態が好転すれば、やっぱりそのこだわりが正しかったんだとより強固な執着へと変化してしまう。いわゆる成功体験という余計な記憶だね。それがたくさんあればあるほど、その影で犠牲になってくれた多くの人の支えや、たまたまに訪れた僥倖に感謝するどころか、自ら独りのパワーで未開の地を切り開いた気になってしまう。だから永遠にうまくいくなんていうのは、どこを探してみても見つからないのはそういうわけだ。時の人と呼ばれていい気になっていると、必ず凋落するのはそういう仕組みからだろう。もっというと、どんだけ頑張ってみてもこの世にしがみつけるのはほんの数十年ぐらいでしかない。そこでうまくいったとかあの頃は良かったなんて言っている。樹齢1000年の大木の前でなんとなく自らがちっぽけに感じるのはそういうことだね。

見える世界

あなたはその目で自らの眼球を見ることはできない。もちろん鏡で映る瞳はいつも見ているだろう。けれどもあなたの目に映る映像はそのまま見ているわけではなく脳で処理して映像化しているとすれば、その映像化するプロセスまで見ることはできない。解剖しておそらくこの視神経が脳の視覚中枢である後頭葉で処理をしているのだろうとはわかるかもしれないけれども、その処理アルゴリズムはどうなっているかまではまだわからない。あなたはその印象によって同じものが違うように見えることも知っている。見えることをそのまま見えているままに捉えることはこの処理と同時の起こる心のせいで大きく変わってしまう。こだわりが良いとか悪いとか、自暴自棄になったり傍若無人に振る舞ったりと時と場合によって変わるのはそのせいだ。感情や思考に振り回されて実にそのままをそのままで見ることが如何に困難かということも知っている。なら、失敗も成功も良いも悪いもあなた次第だということにうすうす気がついているはずだ。それに気がつくだけで素晴らしい可能性を秘めているよ。だってみんな判で押したように同じことの繰り返しから逃れられないままなんだからね。